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離婚の決心はどうやってしましたか



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今日のご相談は離婚を考えているジュジュさんです。お待たせいたしました。

みさおさんは離婚しているそうですが、どういう時に決心しましたか?わたしは結婚して8年で子供が二人いますが夫は友達と遊ぶのと実家と趣味が優先です。私達のことはいつも後回し。日曜日に子供と3人で近所の公園に行って幸せそうな家族連れを見て泣いてしまいました。もう耐えられないのかもしれません。

ジュジュさん、ご相談をありがとうございます。公園で他の家族が楽しくしている様子を眺めて辛くなるお気持ちが痛いほどわかります。お休みの日にご主人はどこかに出かけてしまったのですね。お友達と遊びに行っちゃったのかしら。いかにもファミリーって感じのご家族連れを見ると惨めな気持ちになりますよね。結婚前に想像していた「家族で楽しく過ごす」ことを実現できなかった悔しさはわたしはわかります。「家族で過ごす小さな幸せが欲しいの」なんて思って踏み切ったのにね。「小さな」幸せなんて過小評価してゴメンナサイ。ってところでしょうか。

さてジュジュさん、わたしが離婚をしてからもう30年近く経ってしまったのであの頃の悲壮なまでの決断をもう忘れて暮らしています。時間経過とそれに伴う老化で昔のことはもう段ボールに入れてクローゼットに押し込んでありますが思い出してみますと離婚を決断するのはわたしの場合には一つや二つの理由ではありませんでした。今では便利な言葉ができて〇〇DVに〇〇ハラスメントが三拍子も四拍子も揃った状態でした。30年前の日本では今ほど離婚と出戻りに寛容な世の中ではなかったので、お金も資格も体力も無く3人の息子を連れた女にとっては一つや二つの理由では離婚に踏み切ることは出来ませんでした。そういう意味では理由がいっぱいあって良かったのかなあと思っています。離婚に踏み切らなければわたしは心か身体のどちらかもしくは両方を壊していたことでしょう。

離婚に至る経緯のほんのちょっとを以前のブログで書いていますのでお暇なときに覗いてみてください。


さてジュジュさんのこれからです。①せっかくご縁があってお子さんにまで恵まれたのですからもう少しご主人と向き合ってみてはどうでしょうか。それとも②せっかく生まれてきたご自分の人生です。あなたを大切にしてくれない人と過ごす必要はありません。

どちらなのでしょうね。多分どちらも正しいのでしょう。

わたしが離婚を躊躇ったのは経済的不安と世間体です。息子三人を大人になるまで育てることが出来るのか。そして離婚をしたことによる世間の冷たい視線。それまでよくしてくれた地域の人達と離れる不安もありました。過ぎてしまえばどうということのない不安だったのですがあの頃のわたしとしては大きなものでした。

複雑な気持ちでぐちゃぐちゃになっていたわたしでしたが、ある日珍しいことに当時の夫が家族で公園に行こうと言い出したのです。他の用事がキャンセルになったのでしょうね。出かけるために着替えをしている当時の夫を見ると、ゴルフのコンペの参加賞で貰った犬の顔のワンポイントのついたものすごく安っぽいソックスをわざわざ袋から出して履き替えたのです。当時の夫は(多分今も)着道楽を絵に描いたような人でクローゼットは新品の衣類で溢れていました。ソックスももちろん高級品しか履かない人でした。それがわたしたちと出かけるためにわざわざその安物のソックスに履き替える姿を見て「ダメだこりゃ」と思っちゃったのです。ああわたしたちと高級ソックスを履いて出かけるのは勿体ないんだ。その程度の扱いなんだ。ってね。

いま考えるとたいしたことじゃなかったのかもしれません。たまにでも一緒に公園に行くだけいいじゃん。雪駄やビーサンで出かけないだけいいじゃん。って58歳のわたしならば笑い飛ばす場面ですね。でも当時のわたしは「ダメだこりゃ」と思ったのです。そういうことなのです。ジュジュさんが「もう耐えられない」って思ってしまったら耐えられないのです。離婚した後の生活がどうなるかはわたしには何とも言えません。周りの人は今のジュジュさんに生活に困らないだけ良いじゃないの。とも言うでしょう。その通りだと思います。色々なことを乗り越えて結婚生活を続ける人達がいてそれはそれで素晴らしいことだと少し羨ましくも思います。わたしはこれから来るであろう老後の孤独を思うと寂しい気持ちにもなります。

でもね、人の生きる道って本当に色んな局面があって、過去の決断が正しかったかどうかはもうそれは死んでからわかることなのでしょう。多分これからもジュジュさんには「もう耐えられないかも」と感じてしまう瞬間が来るのだと思います。でも「かも」の間は離婚の決断は出来ないことと思います。ジュジュさんが離婚の決断をするとしたらそれが例え安物のソックスのような傍から見たらしょうもないことであってもあなたがこれは本当にダメだこりゃ。と見切る時なのです。それはそれぞれの感覚で他者が何と言おうと将来の見通しが立ってようが立ってまいが関係ないのだと思います。サインというのは必ずあります。(わたしの場合安ソックスね)そのサインをどうとらえるかは人それぞれでしょう。顔が壊れるほど殴られても借金苦で喘いでもそれを別れのサインと捉えない人もいます。それはその人の感覚で選ぶことですので他者が口出しをするのには限界があるのでしょう。これは良い悪いの問題ではないと思うのです。離婚の潮が満ちる人も満ちない人もいるのです。

わたしがジュジュさんにお伝えできることは、今何歳であっても例え100歳であっても生きている間は全て途中経過であるということです。20歳の時には58歳の人は老成された大人だと思っていましたが、そんなことは全くありません。58歳になっても未完成であるままです。人は完成することが無いままに死んでいくのだとつくづく思います。お若いジュジュさんはご自分の途中経過である現在をよくよく見つめてください。そして「もう耐えられない」もしくは「もう一度夫と向き合おう」のどちらなのか真剣に自分を見つめると鮮やかな答えが出る時が来るでしょう。

あ、それと慰めるつもりはありませんが、幸せそうに見えた公園のファミリーも実はご主人の安ソックスで奥様が離婚を決意した直後かもしれませんよ。他者の心の内はわからないものです。

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