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風の音と、心の音~「聴こえないこと」の思索と物語

難聴児医療・教育界の92歳の長老、田中美郷先生が教えてくれたこと①


あなたの周りに、「聞こえない」人はいますか?
思いあたらないにしても、例えばお友だちが手話を覚えて、聞こえない人のボランティアをしていたり、「〇〇さんのお嬢さんが聞こえないらしい」という話が伝わってきたり。
あるいは、お父さんが年を取って「耳が聞こえない」と言い始めたり、というようなことは、あるのではないでしょうか。
『Silent』という「聞こえない」世界をテーマにしたテレビドラマ(2022年秋に放送)が人気でしたから、関心をもっている人もいると思います。
ただ、「聞こえない」世界があるのは知っていても、では、それはどんな世界なのか?
聞こえることを当たり前に生きていると、わからないことばかりです。

このnoteでは、そういう聞こえないもろもろのことについて、いろんな角度から思索し、エピソードをご紹介していこうと考えています。

▼まずは自己紹介から

もしかしたら「そういう、聞こえない世界を語ろうとしているあなたは、どんな立ち位置にいるの?」と疑問に思われるかもしれません。
そこで、まずとっかかりに、少し自分の話をしようと思います。

いくらか古い話になりますが、現在働いているお母さんたちと同じに、2歳7か月の男の子を保育園に預けて、フリーランスのライターとして働いていたとき。
仕事をしていた雑誌社に、保育園から呼び出しがありました。
子どもが熱を出して具合が悪いから、迎えに来るように!

こういうことは、よくありますよね。
あわてて、仕事を中断して帰ったのですが、病院に連れて行くと、子供は“よくある、ただの風邪”ではなく「髄膜炎にかかっているかもしれない」と言われました。
すぐに近くの総合病院に入院し、肺炎球菌が悪さをして髄膜炎になったことがわかりました。幸い、治療をしていただいて難しい状態からは抜け出したのですが、なんだか耳が聞こえないようです。
なぜ気がついたかというと、後ろから声をかけても振り向かないし、誰かが病室のドアを開けても、まったく気がつかないからです。
たまたま同じ北区で、別の総合病院のケースワーカーをしていた友人のSさんが、帝京大学医学部附属病院に移るよう、強くすすめてくれました。

そこで板橋区にある帝京病院に転院したのですが、結果から先にお伝えすると、子どもは髄膜炎の後遺症で聴力を大幅に失い、重い難聴になっていました。
重い話です。どうしようもなく哀しい出来事でした。
当たり前にあるものが失われることに対して、人は無防備です。喪失感と起きたことの理不尽さにあえぐばかりですが、それはそれとして、とにかく問題に対処していかなくてはなりません。

ただ有難いことに、帝京病院の耳鼻科では、難聴についての専門医、田中美郷(よしさと)先生が診療にあたっておられました。当時、全国から難聴児(聴覚障害のある子ども)をもつ親が頼って来て、受診を希望した名医です。
その田中先生の難聴外来をすぐに受診することができ、入院中から補聴器を装用し、当時STで活躍しておられた廣田栄子先生のリハビリが始まったのは、人生最大の幸運だったと思っています。
よく「禍福は糾(あざな)える縄の如し」と言いますが、本当にその通りだと思います。

▼医療のワクを超え、聞こえない子どもたちの療育支援

田中先生は、当時、帝京病院の会議室で週に1回、難聴児の親のために「ホームトレーニング」という講座を開いておられました。
診察を受けた親たちが参加します。
それは何かというと…、例えば0歳児や1歳児で難聴と診断されたとして、親は何とかしたいと悩むのですが、当時はその受け皿となる療育の場がほぼなかったのです。(聾学校もその当時は、4、5歳からしか幼児の受け入れを行っていませんでした。)
そのために、田中先生は乳幼児期の難聴の子どもの育て方、何よりも「障害をどう受け止め、どのように育てていけばいいか」という明確な指針と考え方を指導されていました。
「聞こえない子ども」をもつ親にとって、「大丈夫です。しゃべれるようになります」と優しく言葉をかけてくださる田中先生は、夕方の空にひときわ明るく輝く一番星、頼っていれば間違いのない勇者のような存在だったのです。

このnoteを始めるのは、聴覚障害児・者の「聞こえない世界」が少しでも風通しのよいものになるように、「聞こえる」「聞こえない」が別々の世界ではなく、もう少し溶け合った世界になるように、という思いからです。

まずはじめに、私や周りの親たちが心から敬愛してやまない田中美郷先生が、なぜ、医者の領域を超えて難聴児の療育に携わられるようになったのか、そこにある哲学とはどのようなものかについて、先生のお話をもとに、たどっていきたいと思います。

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