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建物の声をきく

先日、とても素敵なお話を伺いました。
それがタイトルの「建物の声をきく」という行為。
このお話を聞いたとき、これまでずっと忘れてしまっていたとても大切な事を思い出した気がしたのです。

この「建物の声をきく」ということ、何のこっちゃ?と思われる方、うんうん分かるという方、色々だと思います。
私にとってこの言葉がどのように響いたかというと、それは「自分の意図を超えたところ」を大切にするという意味においてでした。

以前このnoteでも書いたように、私たち現代人はどうしても「計画通りにやりたい」「思った通りに進めたい」というちっぽけなエゴに囚われがちです。私自身、Nafshaのリノベーションを進めていくうちに段々と「こうしたい」「こじゃなきゃ嫌だ」という自分の余計な計らいが大きくなり、思い通りにならないと文字通り「ガッカリ」していたのでした。

でもこの言葉を前にしたとき、ハッとしたんです。
あ、自分の我を押し通しすぎたな、と。
もちろん夫と私はプロジェクトオーナーで、ビジョンや目標を描けていた方がいいのだと思います。人によってはそれらが明確であればあるほど "出来の良い"企画だと思うかもしれません。

だけど、です。
そのやり方ではいつか限界を迎えるのです。
どんな限界かというと、それは「クリエイティビティの限界」と言えるかもしれません。これはプロ・アマ問わずに起こり得ることだと感じています。どんなクリエイションでも、人間の意図の中で操作してしまおうという場合には、結局のところ「どこかで見たことある」「キレイだけど伝わらない」という仕上がりに収まってしまいがちなように思います。逆に「何これ、こんなの初めて」という作品の多くは、きっと創り手自身が自らのエゴを超えて、何か大きなものに委ねたときに生まれるのではないでしょうか(すべて持論です)。

昔、サグラダファミリアを設計したアントニオ・ガウディのこんな言葉に出合ったことがあります。

『わたしは創らない。発見するだけだ』

ガウディの建築作品はどれも有名なものばかりですが、いずれも未完成。しかも直線的なものがありません。どの建築も波打つような曲線で覆われ、まるでそれ自体が生き物のように増殖し続けているかのようです。

「建物の声をきく」というのは、このガウディ的な感覚に近いものがあるようにも思えます。この地球上にあるものはすべて「自然の摂理」によって成り立ち、その摂理に合った無理なく合理的な在り方を「自然」、無駄な力を使って摂理に相反する在り方を「不自然」と表します。
果たして今の建築の在り方は、自然・不自然、どちらが優位でしょうか?私自身のリノベーションはどちらでしょうか?あるいは私たちの人生は…と置き換えてもいいかもしれません。

そう考えると「建物の声をきく」という超能力的にも聞こえるこの言葉の意味が、なんとなく分かってくる気がしませんか?
私は今、「ここに、何置きたい?」「ここの素材、何がいい?」と家に聞きながら進めています(←)。モノには「ここが正解よね」という正しい置き場がある気がするのです。しっくり感、とでも言いましょうか。

さて、今回も壮大な話になりました。
みなさんも行き詰ったら、少し自分の意図を離れて「きいてみる」という行為、してみて下さい…*

2020.09.15
オーナー・美郷
(all photos taken by 太田亜寿沙

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