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ドリアンパン学校 合格から2ヶ月を過ぎて、振り返ってみる

1年ほど前の私。「このままでいいのか?私は何をしたいんだろう?」「ただ物理的に生きているだけの存在になっている…私には何も無い。空っぽな人間だ。」そんなことを1日に何度も考えていた。
20年近い時間をほぼ働き続けてきて、その都度、全力で仕事に向かっていたけれど、心身疲れ切った毎日が繰り返される中で、今までの在り方に限界を感じていた。

その一方で、
もがいて浮上しかけては沈んで、また底からもがいて浮上しかけては沈んで…
そんなふうに何十年か生きてきた私は、退職前の2年くらい、もう晩年でもいいなーと、別に開き直るわけではなく「よくここまで生きてきたなぁ。もう十分生きたよなぁ。」
ただただ自分の人生に、グッジョブ。よくやったよ。◎!そんな気持ちにもなっていた。

矛盾するような気持ちが織り混ざったような、ここ数年。

そして、そんな矢先で区切りをつけた退職。
前職では、意向を伝えてから3年近くかかってやっと退職が実現したけれど、不思議なことに、振り返ってみると、このタイミングに合わせるため3年が必要だったんじゃないか?と思えるほど、退職後の縁が繋がって今に至っている。

どんなに変わろうとしても落とし穴があって、引きずり落とされてしまうような経験を繰り返していると、次第に「どうせ今度だってまたダメなんでしょ。変われるかも!と思った瞬間に叩き落とされちゃうんでしょ。」そう卑屈になっていく。「こんな風に喜ばせておいて、きっとダメなんでしょ。」
変われなかった時にガクンと落ち込みたくないから、先に予防線を張っておく。

今ならよくわかるけれど、潜在意識的にみたら、そりゃ変われるわけない!

そんなセルフイメージで固められていた私に、潜在意識や自分が出す言葉の重要性などについて学ぶ機会が、退職とオーバーラップしてやってきたのだ。
何だかよくわからないし、怪しそうだし、何よりやったって変わるはずない。100人中99人変わったとしても私だけは変わらない…。そこだけは自信があった。(潜在意識から見るツッコミどころが満載!笑)

今までだったら、悩んだ末にやらない方を選んでいたのだろうけど、その時は悩みに悩んで「これで何も変わらなかったら、もう私の人生そういうことなんだと腹括ろう。」これで最後だという思いで、その機会を掴む方を選んだ。

結果は…
変わった。変わったというより、変われることを知った。それは、なぜ変われないのかがわかったから。
全ては自分だったのだ。
「全て自分が選んできたんだよ」と言われて、全く受け入れ難くて衝撃的だったし、子どもの頃のハードな経験は絶対に選んでいないし理不尽だ、とも思ったけれど、全ては今こうして変われる喜びを知るために、私が選んで経験したことなんだ!と捉えられると、過去への向き合い方が全く違ってくる。
何より、自分がラクになる。
起こったことはどうしたって変わらない、そこに在るものだけれど、それをどう見るかは今の自分が決められるのだから。
そういう意味でも「全ての源は自分」

幼少期に土台が作られ固定されて、以降もガチガチに固められてきたセルフイメージを変えるのは容易ではないし、ある日突然、劇的な変化を遂げるわけでもないけれど、
自分が心から望む、自分にぴったりの未来をつくるための、最高なツールを手に入れられた。

そして。
この経験があったからこそ、ドリアン田村さんとドリアンパン学校に出逢えたのだと思っている。
私、全然、晩年なんかじゃない。直感でピンときたなら怖がらずに行ってみよう!
挑戦することが、これからの私にとって大きな経験、大きな一歩になる、という直感があった。
今までは自分に全く自信が無くて、相手が求める要素を自分に上塗りすることが多かった。
でも、パン学校への応募では一切塗らないと決めたし、塗りたくもなかった。上塗りした自分で合格したところで何も得られないし、自分が苦しくなるだけだから。
その時の私そのままで、その時の全部で作文を書いて面接に臨んだ。

正直なところ、面接が終わったと同時に「これは落ちたなーーー!!」と思っていた。
それでも、ものすごくスッキリとした気持ちで、合格ならば人生最幸のギフト!不合格でも挑戦して本当によかった!と、その一歩を踏み出した自分のことが好きだなと感じられていた。
こんなこと初めてかもしれない、とも。

後日、人生最幸のギフトをいただいて、今こうしてここにいる私。
提出して以降、読んでいなかった課題の作文3つを読み返してみた。
その中に…
―――
自分には何も無い、何も出来ない、と感じて動けなくなっている人であっても、全ての源は自分自身なのだということ、自分が望む一歩をまず自分が踏み出すことで生まれる変化が必ずある。
そう伝えられる生き方、働き方を私自身がしていく。

それが、私が自分の人生で実現し続けていきたいことです。
―――-
こう書いてあった。まだいけるよー!とチャンスをいただいたと思っている。
私と同じような苦しみの中にある人の勇気になるならば、もがく姿だってなんだって見せていきたいと思う。きれいでもカッコよくも無くたっていいのだ。

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