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つくる側の視点を獲得する

 へちま島は馬のヴァヤシコフさんがお引越しにつき・・・

 またしても島ガチャDayがやってきた。
そしてついに、ついに!!

 ちゃちゃまる~!!!
40連ほどで出あえるとは~!ミラクル~♡
(でも40連したんかーい・・・)

 あぁ楽しき島生活。
あつ森ありがとう。
任天堂ありがとう。

 いやもうなんの誇張でもなく、このstay home期間をあつ森に支えてもらっていると心から思っている。こんなに豊かな体験をさせてもらえるゲームを、いったいどんな人たちが、どんなふうに作っているんだろう?ものを作ることができるってすごいなぁ・・・「とたけけ」の歌に合わせて流れていく制作メンバーのお名前を眺めながら、いつも思っている。消費する側ではなく、作る側ってどんな感じなんだろう?あつ森(ゲーム)に限らず、作る側にまわってみたかったなとやや疼きながら思ったりもする。

 もちろん「つくる」とか「うみだす」ことが、消費することより尊いなどという乱暴なことが言いたいのではなく。ものを作って売るということは消費を前提にした創作なわけで、それは「ともに作っている文化」として簡単に二分できない。そして1人の人間が「こっちでは作る側、でもあっちでは消費する側」って役割を変えながら生活もしているのだから(ゲームを作っている人も、農家からお野菜を買って消費しているんだし)、二元的に考えることの無理と弊害はある。

 ということを承知の上で、でもあえて言っちゃう。
子どもたちは「つくる」を視野に入れた経験を積んで欲しいな、と私は思っている。

 いやぁすごい時代だよなぁとつくづく思うんだけれども、受け身でいても日々そこそこ充実しちゃえませんか?noteでもしつこくしきりに書いてきたことなんだけれども、SNSを始めて私が衝撃を受けたことのひとつは、「(自分が欲している)情報が、向こうから勝手にやってくる」ということだった。情報量だって多いもんだから「やってくる」情報だけでお腹いっぱいになるし、こちらから情報を取りに行くってことがどうしても減ってしまう。それは当然子どもだって同じで、我が子もインスタその他に流れてくる大好きなものたちの情報に囲まれながら、そのものたちに関係する情報でもそこへ流れてこない情報を全く知らないどころか、「ネットで調べれば?」と私が言うまで調べようとしなかったりする。「ググればいい」という振る舞いが揶揄された時があったけれども、もはや若い世代は「ググりさえしない」んじゃないかとちょっと危惧している。

 おお、話がそれた。

 SNSで好きなものの情報も勝手に向こうからやってくるし、ゲームではしこたま楽しませてもらえるし、YouTubeは次から次へと自分好みの動画をひいてきてくれるし・・・と、至れりつくせり消費Lifeが悪いと言いたいのではない。好むと好まざるとにかかわらず、もうそういう世界に私たちは生きちゃっている。これがどういう未来につながっているのか、私たちがつくる文化や、私たちの身体そのもの(認知機能含む)への影響は全く未知なんだから、いいとも悪いとも現段階で判断することはできない。・・・というよりは、この変化は不可逆なんだから、「そのことをきっちり自覚したうえで、じゃあどうしていくか(どうしていきたいか)」考えるしかないんじゃないかと思う。そこで私が思うのは。

 「消費」はじっとしていてもじゅうぶん出来るんだったら、「つくる」経験を意図的にやっていったらいいんじゃないかなと。個人が「つくる」経験をするツールもどんどん身近なものになっていっているんだし。

 いろんな考えがあるとは思うんだけれども、私はどちらかというと「つくる・もの」そのものの価値ではなくて、「つくる・こと」という行為に価値を置いている。「つくる」というのが能動的な体験だということももちろんそうだし、「つくる」側から見る景色の体験というか、その視点の獲得というのが非常に大切なんじゃないかと思うのだ。あ、ちなみにこれは教育的観点(子どもたちにとっては、という観点)からの考えである。

 その重要性について非常に考えさせられる、秀逸な動画がQuizKnockから配信されているのでぜひ見てみて欲しい。中2ムスメ氏が数あるQuizKnockの動画の中から、「これ面白いから見て!」と私のハングアウトに送ってくれた動画である。これを「面白い!」と選んだムスメ氏は端的に言ってセンス最高だと思ったし、QuizKnockが幅広い人々から支持される世界の未来は(私が思っているよりも)明るいんじゃないかと思った。

※以下は、動画のネタばれが含まれるので、よかったら動画を観てから読み進めてくださいね~。

「東大生100点は取り飽きたので人生最高得点を取る旅に出ます」

 この動画は、100点以上のなるべく多くの得点をとれるようなもの(ゲーム等)に挑んで、一番高得点をとることができた人が勝ちというチャレンジ動画である。何だったら高得点を出してくれるのか、それぞれに知恵を絞ってチャレンジしているんだけれども、優勝を勝ち取ったのは「聞いたこともないような大きな数を表示することができるアプリを開発」しちゃったふくらさんだった。ほかのみんなが「なんだったら高得点稼げるか?」って必死になっているところに、ふくらさんは「高得点をたたきだす」もの、そのものを作ってしまうという、ちょっとコワイことをしちゃうんである。そうしてひとこと。

 「使う側より作る側のほうが強いの。世の中ってそういうもん。」

 ・・・ですよねー!・・・としか。

 「つくる」側の視点を獲得するっていうのは、ひとえにこういうことなんだと思う。

 与えられた枠組みの中「だけ」で思考するのではなく、その枠組みそのものを問うことができるということ。そして必要なものがなければ、それ自体を作り出すという選択肢を検討できるということ。枠組みの中で消費だけしているうちは、別の選択肢を手中におさめることができないのだろうと思う。いやそれどころか、「それは自分の範疇(仕事・役割)ではない」と積極的に棄却さえするんじゃないだろうか。


 だから「可能性を広げていく」過程にいる子どもたちにはぜひ「つくる」側の視点を自分の中に取り込んでほしいと思っているし、正直これからの時代を生きる子どもたちの学びの意味の中で大きな割合を占めているんじゃないかとも思っている。枠組みを問う知性、必要ならばその枠組みを拡張したり、外へ飛び出していける知性、そしてそうする自由を自分は手にしているんだという効力感。知識偏重の学習は時として批判されるのだけれども、そうした知性の元にはやはり知識があって、QuizKnockのあの動画は自分の中にある知識を原資としてのびやかに思考している若い人たちの姿を映し出していると思う。学ぶ意味を、学んだ先に待っている自由で楽しい思考を可視化しているという点においても、子どもたちにオススメしたいチャンネルである。

 ところで余談ですが・・・アプリを作っちゃったふくらさんもすごいけど、あのチャレンジで「北極点と南極点の弓をとって2極(点)」ってやった河村さんは天才すぎて震えた。なんかこれはもう目指せない領域っていうか、そもそも知識のつながり方、もっと言ってしまえば神経回路のつながり方とかスピードが全然違うんだろうなと思う。もし日常生活も常にこの状態だったら、ちょっとしんどそうと勝手に危ぶんでしまうくらいの天才ぶり・・・

 さぁて、みんなー
あつ森してQuizKnockみよっか。
 
 今日のtwitterトレンド「魚つり大会」はどういうわけか「アウトドア・トレンド」になってたけど、あつ森のれっきとしたインドア・トレンドだよー。文庫開館につきすべりこみで魚つり大会に参加、エサまきまくるズルをしても最高8匹しかつれなかったけど、みなさんはどうでしたかー?

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