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夫婦喧嘩はスーパーヘビー

私と旦那は、ほんとーによく揉める。

些細なことで言い合い、喧嘩したことを上げだすとキリがない。友達にいったら「そんなに!?」と笑われるか、驚かれるかのどちらかだ。

ただ、そんなにたくさん「喧嘩ができること」が、私が旦那と結婚したいと思った大きな理由のひとつでもある。
素直に「もうここまで言い合いできる人今後いないだろうなぁ」と思った。後述するが、交際期間の1年ほどの間に、普通のカップルの5年分くらいは喧嘩をしたと思う。完全に「労力をかけた」という気持ちになった。珍しくて変な理由かもしれないが、私の中では結構大きなことだ。

私は親と、ほぼ喧嘩をしたことがない。大人になってからやっと自分の意見を言えるようになったくらいで、子どもの頃でいくと皆無だと思う。反抗期もなかった。友達とも、ほぼほぼ喧嘩をしなかった。子どもの頃からずっと「人に嫌われないようにすること」を念頭に置いてきた私は、親や友達に対してもまた然りで、「思ったことをそのまま言っても自分のことを嫌わないでいてもらえる」ということにほとほと自信が無かった。

そんな「喧嘩慣れしていなかった」私が、旦那と付き合いだしてから月に一度は「別れるかどうするか」レベルの大喧嘩をしていた。その頃事情により遠距離だったのもあるかもしれないが、価値観の相違やら、私が発したふとしたことばに旦那がキレるやらで、揉めに揉めた。旦那は電話口で自分のしゃべっていたその携帯を怒りに任せてぶん投げて、携帯を壊した。あのとき遠距離で良かったね、というのは今も私たちの共通認識になっている。もし対面でやり合っていたら、お互い力尽きて別れていただろう。


恋人と喧嘩をすることは非常にめんどくさい。腹に溜めた思っていることを全部出さないといけない。思っていることを少しでも残すくらいなら、やらない方法を探りたいくらいめんどくさい。だけどここが難しいところで、自分が腹が立っているのに、相手に「もう俺が悪かったから落ち着いて」という態度を取られると、なんだか暖簾に腕押しのような、私だけ張り切っちゃってバカみたいというような、悲しいような虚しいような不思議な気持ちになる。そういう態度をとってくれた方が、早く丸く治ることは私だってわかっている。が、私としてはそんな大人な対応は望んでなくて、ボルテージを同じくして「Hey hey hey!!!!」とグローブをつけてリングに上がってきてほしいのだ。ああ、めんどくさい。


こんなにめんどくさいことをやるのだから、というわけでもないが、夫婦喧嘩は些細なことでも納得いくまでやるに限ると思う。感情のままにパンチラインを並べ、出しきってから反省する。「ウザい」とか「は?」とかもそのままいうのがポイント。笑 こんなことばを使ったら相手は傷ついてしまうのでは…という一切の容赦を捨ててかかる。ちょっとでも「コッチは言いたいこと我慢してんのに」と思ってしまう方が後々めんどくさい、と私は思っている。(その分反省はするし、後々そんな感じのただ傷つけるためのワードを使ったことは相手に謝る。)
この、出し切ってから反省する、というのが、どうやら学生時代に私の知らなかった、喧嘩の術みたいだった。それも、思ったときに溜め込まず出せると尚いい。避けて通ろうとするとどうしても何かしらを我慢することになり、それが蓄積して、ついに爆発した時には自分でもどうしようもないことになったりする。


私にとって旦那と喧嘩できることは、信頼の表れでもある。どちらかが同じ熱量を出すことをやめてしまったとき、攻められる側と攻める側が何かの要因で固定されてしまったら、もしかするとこれはよからぬ方向にいってしまう可能性が多分にあるけど、その危うさを抱えながらも思ったことをぶつけられること。やはりこれは相当信頼のいる作業だとおもう。

これだけ喧嘩のことを書いたが、喧嘩したのちにきちんと話し合えるのもまた、旦那だった。それは私にとって、少し曲がっているかもしれないけど、「私の愛する人の愛すべきところ」として重要なポイントの一つだと思う。

今後例えば子どもができたりしたら、こんなに彼とやんややんやと喧嘩できなくなるかもしれない。そんな体力ないかもしれない。笑
だけど、できるだけたくさん話し合って、できるだけたくさん伝え合っていきたいと思う。そして、自分の子どもに対しても、親だから、とか関係なくパンチライン並べて真っ向から喧嘩できる人間でいたいな、とも思う。




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