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旦那は今日も空を飛んでる

私と旦那は、すごくいろんな話をする。お互いの価値観や人生観、こうしたいああしたいあれは嫌だよね、日々のご飯の話から、スピリチュアルな話まで、多分普通の夫婦がしないような話もしている。

私が旦那という人と出会い、会話をするにつけよく思うことは、「この人、空飛んでるんだな〜」ということ。これは、昨日書いたような、私の意識が飛んじゃって話全然聞いてない、という飛ぶとは全く違うもので、旦那の場合は話を「遠〜くから見ている」。

空を飛んでるのか、ってくらい、とお〜くから。


前者後者の話によると、前者は「社会平面」で生きてるらしい。

よく、「好きなことして生きていこうよ!」とか「自分の為に生きていこうよ!」とか言われるけど、それが向いてないのが旦那みたいなタイプだ、と私は思う。世界と自分がどうやら地続きらしく、自分のため、って言われても、自分っていうものの感じ方が状況や場合に応じて変化しているらしい。

これに気がつく前、私はよく「(自分の)好きなこと探しなよ!」とか「もっと色々やってみりゃいいじゃん!」というアドバイスを彼にしていた。私からしてみれば、生きるということはさながら一歩一歩地面を踏みしめているような感覚だし、問題は目の前に現れるし、何かの全体像はそこに突っ込むまでわからない。だから、当たって砕けるしかない。当たって砕けてこそ、自分というものの輪郭がくっきりしてくるのだからそうするしかない、と思っていた。

でも、彼と話しているとだんだんと違うということに気付いた。「やってみる!」というところに着地しない。「そうすればいいのか!」にも、着地しない。どーーーにも、もどかしい。

色々考察した結果、どうやらこういうことらしかった。

例えば、私と旦那が門の前にいたとする。私はその門を正面から立って見ている。扉が開いてるのかどうか、門がどのくらいの高さか、これは抜けられそうなのか、そういうことを、すごく「近くから」「フォーカスして」見ている。一方、旦那は鳥みたいに、その門を上から見ている。しかも、上空からその門に近寄るのに限界がある。上から見る分、門の先がどうなっているのか視界に入る限りわかるし、その門に入ることが「無駄かどうか」もだいたいわかる。が、近寄るのに限界があるため、実際に正面に立ってよく見る、みたいなことはかなり難しい。

これに気付いた時、私の今までやってきた相談の乗り方なり、鉄板のアドバイスなりというものは一切通用しないことを理解した。

私は主婦になる前、新卒で3年ほど企業に勤めていたのだけど、その時の上司が今の私のような人と、旦那のような人、1人ずつだった。私と旦那よろしく、その人たちはよく話が食い違い、よく揉め、何かの拍子に仲直りしていた。

多分、こんな感じで揉めてる人、もしくはその揉めをなんでだろうって思ってる人、いるだろ?きっといると信じてる。笑 身近にもしそういう人たちがいたら、この話が少しでも参考になったら嬉しいです。

フォーカスできる人と、遠くから見れる人。それぞれの適材適所で、いいところがいかせることが一番。私と旦那もまだまだよく揉めますが、夫婦のコミュニケーションには終わりがないのだ!!!!



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