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note酒場に行って。思い出した銀杏の木漏れ日

太陽の色よりも澄んだ透明な色。押し付けることなく、さりげなくでもなく、でも確かにそこにいることで世界を鮮やかに染める。

煙立つ砂と共に下駄箱から運動靴を出す。すのこの上をバンバンと音立てて校庭へ走り出した。あれは確か小学4年生のとき。

生活の時間とやらの授業で、その季節ならではの風景を見つけその様子を感想文に書くという、今考えるとてもエモい授業があった。

ゆとりと言われる環境の中で私の感受性はすくすく育ててもらったように思う。

皆、好き好きに校庭を歩き、「季節」を見つけていく。

私が足を止めた場所、
それは銀杏の木の下だった。

紙に鉛筆を走らせる。
「黄色の葉っぱに光る太陽の光がきれいでした。」
その感想文は後日先生から大きな花まる付きで返ってきだと思ったら、クラスメイトの前でも取り上げられた。


「いいですね。貝津さんと同じように「紅葉の木漏れ日の綺麗さ」について詩を書いた詩人がいるよ。」
ニコニコと先生のその一言、たった一言だけだった。

それ以上特別なことは何もない。それでも、私があの木漏れ日に感じた何かを言葉にしたら、思いかけず人からいいねをもらえた。一瞬にして広がった温かな気持ち。

承認が嬉しかったのだろうと思う。
答えのない自分の中からしか出てこない何かを、人が認めてくれることもあるのだと。

私がもうほとんど無意識に木漏れ日が好きな理由はきっと、あの先生のおかげだ。

***

放っておいてもやっちゃうことってなに?

好きか、好きじゃないか。
好きだったらいればいいし好きじゃなかったら離れればいい。

note酒場で出会ったお姉さんが、シンプルなピースを一つ、わたしの胸にパチリとはめてくれた。

わたしが放っておいてもやっちゃうことってきっと、きっと旅。それから、新しい場所へ初めましての人に出会いに行くこと。人の想いや夢を聴くこと。そして書くこと。

先週から入った会社は、世界中を旅するわけでもないし書くこともない。でも、毎日新しい場所で初めましての人と働き、初めましてのお客さんと接する。

そして、最後はごちゃごちゃ言わずに直感的にこの会社が好きだと感じ決めたように思う。


好きだからできることって、たくさんある
でも、それが好きでなくなることもある。

大事なのは、そんな自分の変化に見て見ぬ振りをせずに、移ろい変わり続けていくこと。

自分の何気ない言葉やってみたことが、誰かにとっての特別になるかもしれない。

小4のわたしは、まさか銀杏の木漏れ日がきれいだったと書いたらみんなの前で先生がニコニコしながらそれを読み上げるとは思わなかったし、褒められると思って書いたわけではない。

でも、感じたままに書いたそれを、先生はいいですねと言ってくれたのだ。


好きを言ってみたらいい。
好きをやってみたらいい。

本当に好きなのか?とか、ずっと好きなのか?とか、深刻に悩んで足踏みしなくていいんだ。好きじゃなくなったら離れればいい。

もっと自分の好きに従って、自由自在に水の中を泳ぐふわり軽やかさを羽織った魚のように生きていきたいと思った。

変わることを怖がらず、変えることを怖がらず。

"好き"に素直に生きるとは、そういうことかもしれない。

人との出会いこそが、財産だなと思う。
note酒場での素敵な出会いが教えてくれたこと。

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