大目的は何か

心と身体は繋がっている

と、よく言われていますが、それらがどのような繋がりがあるのか

そして、それらの繋がりを通して、人間という1個体は何をしようとしているのか。それらについて、日々接している精神障害を患った方々からの気づきを踏まえて、言葉にしていこうと思います。

痛みや疾患は「勝手になるもの」ではなく、そのプロセスを経たからこその「現象」ではないかと感じています。理由は分からないけれども、「慢性的な痛みがある」という方もおられますが、逆に「その痛みは何のために存在するのか?」という視点もあっても良いのではと思っています。

お腹が痛くて、体育に出られません

という言葉を過去に聞いたことのある方もいるかと思います。そして、その図式はこのような感じかと思います。

お腹が痛い = 保健室に行ける = 体育に出なくて良い

不思議に思ったのが、体育が大好きでスポーツも得意!でも、しょっちゅうお腹が痛くなって体育に出られない、という人はいなかったように私は記憶しています。アドラー心理学において「すべての行動には目的がある」という記述があります。腹痛の目的は、もしかしたら腹痛で体育に出ないことを通して、「体育の授業で自分が感じる何かしらの感覚・感情を回避するため」とも考えることができるかもしれません。

骨折や打撲などの機能損傷が起きていないのに、痛みがずっと続くことに置き換えると、その慢性的な痛みを感じ続けることで、「別の何かを自覚せずに済む」ということにも結び付くのかもしれませんね。

精神や身体との関係、そこの媒介になると思われる「認知」について、少しずつ書いてこうと思います。

精神保健分野等での現場には立っているものの医師ではないため、専門的な部分で間違ったことを発信しないようには気を付けたいと思います。あくまでも、様々な「現象」を私の視点を通して考察したもの、という内容のアップがメインになります。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?