ものをうみだすこと

人間における『生産性』とはいったいなんなのだろうか
杉田水脈衆議院議員の発した『LGBTには生産性がない』という言葉が話題になっているけれど、そもそも『生産性』というのはどういうことを指すのだろうか。週刊新潮の記事は一通り目を通したがある意味では正論なのかもしれないとも思った。『生産性』という言葉を『自分の遺伝情報をもった次世代を自ら新たな1個体として世に送り出す』という意味ととらえた場合ではLGBTを代表とするセクシュアルマイノリティの人々は困難を極めるため『生産性がない』とされてしまうこと理解できる。
 この『生産性』という言葉を聞いて一番最初に思い出したものは映画の「マトリックス」だった。作中人間が丸太のように並べられ、生体が生み出す微量な電力をコンピュータが集め動力としていた。当時まだ小学生であった私にはとてつもない衝撃だった。そこに横たわる人間が発している電力こそがコンピュータにとっては人間の『生産性』だ。そこには我々の今まで培ってきた思想も文化も何もない虚無でしかないが、『生産性』は存在している。
杉田水脈議員の言う『生産性』はこのマトリックスの『生産性』と類似している。彼女が言っている『生産性』という言葉は前述したとおりの『自分の遺伝情報を持つ次世代を自分で生み出す』という意味で使用されているのだと思う。もっと言えばその次世代が経済活動をすることで生み出される税金やその他の利益について話しているのである。でなければ、LGBTを『生産性がない』と切って捨てることはあまりにも不親切で理解に乏しい。
しかしながら人間の『生産性』はそのような単純なことではない。
人間も動物であるから、次世代に遺伝情報を残すということは重要なことではある。むしろ、動物たちの『生産性』はまさに次世代に遺伝情報を残すことのみだ。その動物たちと我々人間が一線を画すとすれば皮質の発達より生まれた高度な文化や思想に他ならない。
先人たちが発見してきた万物の理を利用してここまでの文明を作り上げてきた人間の『生産性』が次世代への命のリレーだけではないことは明白だ。
もし次世代への命のリレーのみが『生産性』というのであれば、LGBTのみならず生産年齢を終えた高齢者も、子宮がない女性も、精子が作れない男性も、障害者も、ほかにもたくさんある理由をもつ人々全てが『生産性がない』ことにされてしまう。それでは家畜と同じではないだろうか。
そんなかなしい世界に私は生きているのだろうか。
我々人間は生きている限り、何かを考え、創造し、消費し、人と関わり生きている。その生きている、ということ自体が人間の真の『生産性』ではないのだろうか。何かを生み出すだけではない、消費することも『生産性』の一つである。
高齢者の対策に巨額の税金をつぎ込み、LGBT対策は後回しでよい、そこに『生産性』という言葉を使うこと自体がナンセンスだと思う。為政者というものは全てに順位をつけていかねばならないところがあり、それは致し方ないと考えるが、その理由に『生産性』を上げることは厳に慎んでいただきたいと思う。



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