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無駄が人を楽しませる。

こんばんは。最近毎日noteを続けられていないため、早速3日坊主の癖が出てきています。とはいえdoaの「英雄」にもある通り「また立ち上がれば良い。ただそれだけ出来れば英雄さ。」の精神に則って、再び投稿をしたいと思います。(ちょっと違うか。)

先日、こんなTwitter投稿を見つけた。こちら

(前略)
お菓子は、「飢えを満たすため」のものでも「栄養のため」のものでもありません。にも関わらず、人は手間をかけ、時間をかけ、必死こいて作ります。それはなぜか、「楽しい」からです。そこにおいて、ようやく「キラキラル」の意味がわかるのです。

「キラキラル」とは、言ってしまえば「無駄」なのです。なくてもかまわないものなのです。でも、その「無駄」を愛せること、愛おしいと思うこと、それこそが人間の叡智なのです。「寄生獣」においてミギーが至った境地、「無駄であることに意味を与える」尊さだったのです。

(中略)
「それ必要なの?」「それが意味あるの?」「それなんの役に立つの?」などの、過剰な実利主義に毒された現代だからこそ、少し落ち着いて、お菓子を楽しむ余裕を持ちたいものです。ただ「楽しい」それはとても、素敵なことなのです。

プリキュアアラモードの考察についての投稿だった。Twitter投稿であるので気軽に読みやすい上に、読んでいて楽しくなる文章なので、ぜひ本文を読んで欲しい。

ともかく、非常に面白い主張であった。本当にこんなメッセージがあったかどうかはここでは論じない。そうではなく、純粋に「無駄と称されるお菓子が人を楽しませている」と言う主張が重要だ。

少し抽象化すると「無駄が人を楽しませる。」と言う事だ。利益を上げる、成果を上げる、組織の役に立つ・・・確かに重要な事である。私自身、そう言った考えに基づいて、偉そうに人にフィードバックをした事もある。しかしこの文章にあるように「楽しいからやる。」と言う動機は非常に重要だ。ここでは、一見無駄である事に対して、それでもその瞬間に「意味」を持たせる事が、人間の叡智であると語っている。

「本当にそれって役に立つの?」と言われ、「役に立たない」と判断するだけなら、それこそAIでも出来る。(正しいかどうかはともかくとして、ジャッジする事はできる。)しかし、それを「楽しい」と言う感情に変換する事は現状ではAIには出来ない芸当だろう。論理ではない。感情だ。

とはいえ無駄な時間だけを過ごすと言う訳ではない。結局世の中はグラデーションなのだ。メリハリなのだ。無駄な時間を楽しみ、必要な時間を過ごす。それが重要である。

振り切った時間の使い方をして尖る、いわゆる天才や、それに並ぶために努力する者もいるが、一般的にはそうではない。努力する者は「必要な時間」の割合を増やせば良いが「無駄な時間」を無くしては天才には勝てない。「無駄な時間」を過ごせるのは「凡人」だから出来ることだ。重要なのは「無駄な時間を過ごさない事」ではなく、「無駄な時間に意味を持たせる事」だ。それでこそ、努力する者が天才に勝てる手法だ。また書こうと思うが、

「知之者不如好之者、好之者不如樂之者」   『論語』より
「努力する者が楽しむ者に勝てるワケがない」 『刃牙道』より

と言うように「楽しむこと」がその道で長けるために重要なファクターなのだ。人生も同じだろう。楽しむことだ。そのために「無駄を過ごす事」だ。自らが「楽しめる道」を見つける。それは自分にしかないアイデンティティだ。恥ずる事はない。存分に楽しむのだ。ただ「楽しい」。その時間を過ごせるのは自分しかいない。落ち着いて、その無駄を楽しんで欲しい。

無駄が人を楽しませるし、楽しむために無駄を過ごす。「有意義な時間を過ごす」とは、単に必要かどうか?ではなく、楽しめているか?も一方で重要なのだ。文中の言葉を借りるなら、ただ「楽しい」。それはとても、素敵なことなのだ。

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