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スペイン回想記6 パンプローナにて

待ち合わせ場所のロータリーに行くとリクが立っていた。彼はナバラ大学の学生で授業の合間に迎えに来てくれた。旧市街から歩いて20分ほどのキャンパス内にある博物館に連れて行ってくれた。リクが"インターナショナルスチューデント"という言葉を駆使して博物館に無料で入れるように受付の女性に話してくれた。この"インターナショナルスチューデント"効果はすごくて、これでそのあと大学棟の中にも入れてもらえた。

最初の展示室にカタルーニャ州旗「セニェーラ」を描いた作品があった。赤い縞から血が垂れている。彼によるとカタルーニャ州旗の赤い4本の縞はカタルーニャ独立を求めて戦った戦士がスペイン国旗を最後の力で引きずりおろそうと掴んだその指のあとだという伝説があるらしい。パンプローナはカタルーニャと地理的に近いこともあり、彼の大学の友達にも独立を望んでいる人がいるという。そして彼らのことをサポートしているんだとリクは話してくれた。マドリードではカタルーニャ州旗は一度も見なかったが、パンプローナではバルコニーにかかるカタルーニャ州旗を目にした。

それからピカソの描いた子供の絵をみて何を思うか話した。その絵を見て私の頭に真っ先に浮かんできたことは「クレヨンしんちゃんの映画に出てきそう」だった。子どもの悲し気な表情と不気味さが相まって、「クレヨンしんちゃんの映画」を見たときの心細さを思い出した。リクの彼女はアート批評が専門だそうで、彼女と訪れたときに覚えたことを教えてくれた。そのあとも博物館の一階の展示室を周り、それぞれの絵を見て何を感じるか話した。私は絵を見るとまず色のイメージが先に来て、その色のイメージに結びついた自分の記憶が呼び起こされるみたいだった。「なぜそう思うの?」と聞かれると、記憶をたどる。なんというか、想像力が足りないのだ。すごくrationalだと彼に言われた。自分のことをそう思ったことはなかったが、たしかにそのとおりかもしれない。新しい発見だった。

電車で小さいボカディーヨを食べてからすでに3時間たっていたのでお腹が空いていた。お腹の音も鳴り止まず、博物館にあるカフェに連れて行ってもらった。そこで日本人女性が働いているそうだが、その日は会えなかった。もう食事メニューがない時間だったので、カフェだけ頼んだ。うれしいことにカウンターに置いてある焼き菓子がついてきたのでひとまず食べ物をお腹に入れられた。やっとお腹が鳴り止みそうだ。開けた原っぱの真ん中のテラス席でコーヒーを飲み、焼き菓子を食べた。とても心地よかった。マドリードも東京に比べたら静かでのんびりとしているけれど、パンプローナのこの原っぱはだだっ広くて寝っ転がりたくなる場所で、地方都市にやって来た感じがした。

私がまだお腹が減ってるのを気にして、医学部のキャンパス内にあるカフェに食べ物があるかもしれないと、連れて行ってくれる事になった。医学部の建物に向かう途中、原っぱが本当に気持ちよくて「ひなたぼっこしたい」とつぶやくいたら「tomar el sol」「sun bathing」となにが違うのかという話になった。私の中でその原っぱと日差しは「tomar el sol」より、「ひなたぼっこ」がしたくなるところだった。私にとっての「ひなたぼっこ」はひだまりの温かさを楽しむこと、体がほかほかして心もぬくぬくすることで、ただ太陽に当たるのとはなにか違うのだと話した。彼は日本語の細かいニュアンスにすごく興味を持っていて、その夜もたくさん日本語と日本的な感覚について議論した。

医学部のキャンパス内のカフェでシナモンロールを頼んでまたコーヒーを飲んだ。アルゼンチンが好きな話をすると、クラスメイトにアルゼンチン出身の子がいると彼は言った。日本にいると遠い国だけれど、スペインにいると少しアルゼンチンが近くて楽しい。

パンプローナはフランシスコ・ザビエルの故郷で、ハビエル城という彼の生まれた城が地球の歩き方にものっている。駅から乗ったタクシーの運転手も言っていたように、パンプローナと山口市は姉妹都市で、街なかに日本庭園と交流の石碑がある。

そんなこともあってシナモンロールを食べている間、ザビエルの話になった。日本で有名なザビエルの肖像画を教えると見たことがないという。それで彼がインスタのストーリーで友達に質問し始めた。二人からザビエルだと返信が来た。それから「ザビエルペンギン」のことをリクに教えた。みなさんも知っているだろうか。「ザビエルペンギン」とはザビエルの顎に黒い点を2つ描いて逆さにしてみるとペンギンになるというあれだ。聖遺物として全世界にその体の一部が祀られているほどの聖人にこんなことをしていいのかと思うけれど、そういうアホなことを考えるのがなんとも日本人らしくて、面白がってついつい教えてしまった。あの類の誰にも教えられないのにみんなが知っていることはどうやって広まるのだろうか。彼は相当「ザビエルペンギン」にハマった様子でいろんなバリエーションを調べ自分のひげでもやりだした。こんなアホな話で楽しんでもらえるなんてパンプローナに来たかいがあった。

リクは授業に戻らなくてはいけなくて、彼を待つ間キャンパスの周りを一時間ほどぐるぐる散歩した。駅もそうだったがすべての看板にバスク語が併記されていて、スペインが多言語国家であることを肌で感じる。バスク語とカスティジャーノ(一般的に言うスペイン語)の間にはなんの共通点もない。地理的にはとても近いのに不思議だ。そんなことを思うと看板を見て回るだけで楽しかった。ナバラ大学には附属の大学病院もあるのだけれど、リクによるとバスク語しか話せない患者さんもやってくるらしく通訳がいないと診療できないそうだ。

日が落ちてきた頃、リクの授業も終わり大学の前で合流して、旧市街に向かう。歩きながらスペイン料理が食べたいか、日本料理が食べたいか聞かれる。せっかくパンプローナにフエビンチョの日に来たのでバルに行きたい気持ちもあったが、日本食が恋しくなってきていた頃だったので悩みに悩んだ。ちなみにスペインは日本食ブームでどこに行ってもたくさんの日本料理店があり、スペイン人は日本人よりも寿司が好きなんじゃないかと思うくらいだ。フエビンチョの日だったけれど、彼がラーメンが食べたいと言い出した。ラーメンという言葉を聞いただけでお腹が減る。こうなるとどんな料理もラーメンに勝てないので結局日本料理店に行くことになった。

その日本料理店はPlaza del castilloにあったので、先に同じくPlaza del castilloにあるヘミングウェイの行きつけだったCafé Iruñaを覗いてみた。夜のCafé Iruñaは照明が星のようにきらめいて、雰囲気のある内装を照らし、夢をみているような美しい空間だった。あとでワインでも飲みに来てもいいねと話していたけどこの夜はラーメンとビールで話が弾んで、Café Iruñaには行かなかった。

ラーメンを食べに連れて行ってもらったお店は、ジャパニーズレストランではなく、日本料理を出すセルべセリアだった。外観も内装もザ・ジャパニーズレストランではなくて、スペインによくあるセルべセリア(ビアホール)で、日本料理を食べながらも地元の夜の賑やかな雰囲気が味わえた。リクの知り合いも店に来ていて、日本語で話しかけてくれた。ナバラ大学には日本語クラブがあり、店にいた彼らはそこの仲間だそうだ。日本料理を出す店だけあって日本好きが集まっている。

ビールの種類は豊富でサイズも選べた。私は軽めの黒ビールを頼んだのだけれど、これがとても美味しかった。食事は餃子とパタタスブラバスのキムチバージョン(patatas bravas=フライドポテトのトマトソースがけ)、それにラーメンを注文した。ラーメンは味噌ベースで辛いものと辛くないもの、サイズはフルかハーフか選べた。他のおかずでお腹いっぱいになるかなと思てハーフを頼んだのだが、想像していたより小さくて物足りなかった。日本でラーメンを食べ慣れているためか、あの鉢切れるくらいお腹が膨れる感覚がないとラーメンを食べた感じがしなかった。海外に行くと一皿の量は日本より多くなる傾向にあるがどうもラーメンに関しては逆らしい。ラーメンの味はとてもよかった。

すべて食べ終え、店を出て、腹ごなしに夜の旧市街を歩き回った。ホステルで言われたように木曜日のフエビンチョ効果で、通りは人で溢れて賑わっていた。牛追いまつりのスタート地点から牛が走るルートを順番に歩き、Plaza del castilloに戻る。それからさっきと反対方向の道を進んでカテドラルの横の広場を抜け、新市街が見下ろせる高台に出た。

旧市街は車が通らないので、バルのある通り以外はとても静かだった。人がいる場所は「今」を歩いている感じがするが、誰もいない場所はシーンと静まり返っていて、中世にタイムスリップしたのではないかと錯覚する。夜の街に反響した自分たちの声と硬い足音だけが浮かんでいた。それ以外の音は石の中に全部吸いこまれていく。もしリクがいなくて一人だったらなんとなく怖くて歩けなかったと思う。夜の旧市街で見た景色はどの一瞬も映画のワンシーンのようだった。

ホステルの前で別れるまでとにかく話が尽きず、楽しい夜だった。歴史が刻まれたパンプローナの街を堪能した余韻に浸りながらぐっすり眠った。

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