絵で食べていこうという思い上がり

本来自分は自己肯定感がかなり低く、絵を仕事にできるような能力があるとは思ってもいなかった。

しかし、90年代ぐらいまでは「こんなんでいいなら、僕の方がもう少し上手にできるかも?」と思うような、あまり質の高くない広告カットが世の中にあふれていた。

それは間違いなく、絵で食べていく道を選んだ理由のひとつだった。

「絵で食べていけたら幸せだろうな。」
「もしかしたら自分にはギリギリそれができるのかもしれない。」
「たとえずっと三流でもいいから、死ぬまで絵かきとしてしがみつき続けていけたらなあ。」

そう思ってこの道に進んだことを「思い上がり」と言われたら返す言葉もないけれど、それですら覚悟のいることではあった。

00年代以降、業界レベルの底上げが急加速し、供給過多による下からの突き上げで日々努力をしなければ底辺にしがみつき続けることすらも困難になった。
供給過多は足元を見られる原因になり、労働対価としても異常な低賃金による搾取が横行するようになった。

「自分の能力が低すぎて食っていけないなら自己責任。」そう思いながら、貰える仕事は全部もらって週120時間ぐらい仕事をし続けたけれど、「いかに供給過多で自分がど底辺だとしても、同じ仕事をともにするビジネスパートナーとしてこの扱いはないだろう」という憤りも強くなった。

「30代ならまだしも、40歳を超えたら今のような無理は利かない。」
「生き残ることはもとより、このまま搾取され続けたら潰される。」

企業側からすれば「掃いて捨てるほどいる有象無象の一人」だから、潰れたら使い捨てて他所を当たればいいだけの話なので、まずはそこから脱却しなければならない。

3流の底辺にすらしがみつけると思っていなかった自分が「生き残るために、せめて使い捨てられない2流にならなければ」と思うようになった。

そうこうしている間に瓢箪からコマで漫画家としてデビュー。
不特定多数の人々にペンネームを認知される立場になった。
もちろん漫画家としては無名もいいところなのだが、自己肯定感が低い自分としては、分不相応すぎるほどに恵まれた幸運だと感じていた。

「自分の才能でこんな幸運に恵まれるとは思ってもいなかった。」
「これで、いつ死んでも悔いはない。」

そう思っていたのだけれど、人生はまだ長い。
同世代の平均よりもかなり低い年収だから、老後の蓄えなどあるはずもなく、生涯現役でしがみつき続けるしかない。

若い才能がどんどん上がってくるし、自分の感性も老いていくし、消費者の可処分所得パイの限界もある。

同人活動のサークル名「ONE HIT WONDER」は「一発屋」という意味で、いつか一発当てられたらなあという思いが込められているけれど、自分に一発当てられる才能があるという思い上がりではなく、「まあ、まず無理だろうけどね」という冗談の要素が大きかった。
とはいえ老後を考えると、今からでも一発当てたいなとは思う。

50歳を超え、人生もキャリアも終盤戦にさしかかった。
今から大化けできる算段などないけれど、この世界に飛び込んでしまったからには死ぬまで頑張らければならない。

少なくはないファンにも恵まれた。
ファンからしたら推しが落ちぶれるのなんか見たくはない。
だから生き残り続けたいと思う。

せめて死んだときにネットのトレンドにあがるぐらいにはなれるよう・・・

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