誇りをもって

つまらないプライドを持つよりは、誇りを持ちたいものです。

誇りは誰にでも持つことができます。
なぜなら、それは実績や実力の優劣で担保するものではなく、自らがどう取り組んできたかに対して持つものだからです。

物事と誠実に向き合い、真摯に取り組む人であれば、誰にでも持つことができるのが誇りというものです。

もし実績や実力の証明を必要とし、それに依存しなければならないようなものであれば、それはすでに誇りとは言えません。

誰々より優れているという相対的な証明の必要はなく、むしろ絶対的に劣っていてすら構わず、ただ自らに恥じない取り組み方をしてるかどうか一点だけに集約されるものですから、誇りとは自分の心の中で完結するもので、他者に否定できるものではありません。

そして誇りは自信となり、自信はいずれ成長につながります。

つまり、「実績も実力もないくせに、自信をもつなど勘違いだ」といったよく耳にする意見は、それ自体が勘違いなわけですから、誠実さをもって真摯に生きている限り、誇りと自信を持って胸を張るべきだと思います。

「実力がないから」、「実績がないから」という理由で自信を持つことができずに縮こまっている人間は誇りをもてず、それゆえに誇りや自信を持って堂々としている人間を「お前ごときが」とやっかむでしょう。

しかし、それを気にしてはいけません。
そうなってしまってはいけないのです。

自信に根拠を求めてはいけません。
根拠の必要なものを自信とは言いません。

真っ直ぐ前を向いている自分を誇り、それを信じるべきです。
自分を信じることこそが「自信」なのです。

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