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少女観察論

田房永子さんのWEBコラム「女子中高生に固執する成人男性たち」に端を発したツイッターでの一騒動がありました。

あまりに論点が多すぎて整理しきれませんが、「町中で女子中高生を観察し、それを絵に活かすこと」の倫理的な是非が問われるのであれば、自分としては考えざるをえない問題です

基本的にこのような「観察事案」において、「どういった心情で観察していたか」を考慮することは無意味です。

知り合いに似てると思っただけかもしれませんし、服にプリントされた文字に興味があっただけかもしれませんが、もちろん劣情にまかせて「視姦」していたのかもしれません。

しかし、第三者がどんな推測をしたとしてもそれを証明するすべはなく、真実を知っているのは観察者本人だけですからここを論じても仕方ありません。


よく使われる「いやらしい目」という言い回しがありますが、これはとても偏見に満ちた差別的な言葉です。
前述のとおり、どういう心情で見ていたのかは本人にしかわからないのですから、それを他人が勝手に決めつけて否定することは一種の「セクシャルハラスメント」であると言えますし、「成人男性」とひっくるめてしまえば「性差別問題」にもなります。

日頃から少女を観察し、それを絵画表現することを生業としている人間のひとりとして、自分がどのような心情で少女を見ているかといえば、それは間違っても「劣情」ではありません

とにかく、「美しい、かわいい」と思うから見ているわけで、猫を愛でるのとほぼ同じ心情ですが、少女は「ひとりの人格ある人間」としてその人権を尊重されるべきですから、猫と同列に語ることはできません。

もし「観察によって少女たちを不快にさせること」が無条件で是認されてしまっては、彼女たちの人権を踏みにじることになります。


次に視点を変えて、少女達の側面を考察してみましょう。

思春期の少女における「性的な自我の芽生え」には大きな個人差があります。
早熟な子であれば9歳ぐらいで、「男性から性的な視線で見られる存在」としての自分の性を自覚しますが、一方でそういった「知識」はあっても、自分自身に当てはめて認識することができないまま思春期を過ぎる少女もすくなくありません。

そして、性的な自我が芽生えた少女は、劣情の対象とされることに嫌悪と恐怖を感じるタイプと、劣情の対象とされる自らの性に存在意義を感じるタイプにと分かれます。

小説「ロリータ」の作者、ウラジミール・ナボコフは後者のタイプの少女を「ニンフェット」と呼んでいますが、これはロリータポルノの作り話の中だけの話ではありません。

このように、思春期の少女だけでも「自らの性に無自覚なタイプ」「劣情の対象とされることに嫌悪と恐怖を感じるタイプ」「劣情の対象とされる自らの性に存在意義を感じる」と大きく分けて3タイプに分類されます。

統計はないので、それぞれのタイプの割合は分かりませんが、「劣情の対象とされることに嫌悪と恐怖を感じるタイプ」の少女が相当数いることは間違いありません。

そんな彼女達にとって、男性からの視線が全て「劣情」にしか感じられないのは当然ですし、痴漢などの性的搾取の被害経験を経てその思いは成長とともに強くなっていきます。

視線に含まれる劣情の有無は観察者本人にしかわからないことなので、思い込みによる被害妄想の部分は少なからずありますが、彼女たちにとって「男性から見られることが不快かつ恐怖」であることは揺るがない事実です。

以上の考察により、批難されるべきは「観察」という行為そのもではなく、それをさとられない様にする努力を怠ったことという結論に至りました。

観察を少女にさとられ、恐怖と不快感を与えた時点で、加害の事実が発生しますが、さとられさえしなければ加害も被害もありませんから、細心の注意と責任をもってさとらせないよう努力すべきでしょう。

そして、その根底にあるべきは「利己的な非難されないための理屈」ではなく「少女達に不快な思いをさせないための思いやり」だと思うのです。

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長月みそか

漫画家
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