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第26回 岡本太郎現代芸術賞(TARO賞) 川崎市岡本太郎美術館 レポート

2月18日から川崎市岡本太郎美術館で、第26回「岡本太郎現代芸術賞展が開かれている。同賞は1997年から開催され、通称『TARO賞』と呼ばれている。技法や形式を問わず、5メートル四方の大空間にどのような展示を行うかのプランを、文字ベースの制作意図とともに提出するという難度の高い書類選考や、国籍、年齢、プロアマなどを問わず広く応募可能な点など、国内の公募展の中でも異色の存在として長年続いてきた賞だ。
主催者である岡本太郎美術館は、賞が以下のような性格を持つと述べている。

「岡本太郎の精神を継承し、自由な視点と発想で、現代社会に鋭いメッセージを突きつける作家を顕彰するべく設立」(公式パンフレットより)
「彼の遺志を継ぎ、まさに「時代を創造する者は誰か」を問うための賞」(TARO賞ウェブサイトより)

これまでの受賞者(※)、入選者には、古くは中山ダイスケ(第1回準大賞)、宇治野宗輝(第6回特別賞)、梅津庸一(第9回準大賞)など今も一線で活躍する個性派が、近年ではサエボーグ(第17回岡本敏子賞)やキュンチョメ(同岡本太郎賞)、毒山凡太郎(第20回入選)、弓指寛治(第21回岡本敏子賞)など国内外で活躍する作家が多数、含まれており、26回目となる2022年度は595点の応募があり、書類審査の結果、23人が入選し、美術館での展示を行う。
オープン前日の17日に筆者もプレスとして参加した授賞式と内覧会があり、23人の中から、足立篤史、澤井昌平、関本幸治、レモコ-レイコの4人に特別賞が送られたが、しかし、岡本太郎賞、岡本敏子賞を設けて以来初めて、両賞共に該当作品無しの結果となった。

※1997年の第1回から2005年の第9回までは準大賞以上が存在しなかったが、審査員から「最高賞を出すべき」との意見もあり、2006年の第10回から新たに「岡本太郎賞」「岡本敏子賞」が設けられた。


授賞式の様子


TARO賞の審査は、書類選考では一堂に介した審査員が全ての応募書類に目を通し、それぞれが選出した入選候補者を突き合わせた上で話し合い、最終的な入選を決める。その後、展示された入選者の作品を見て、その段でも書類審査同様に合議を行い、全員の総意で太郎賞、敏子賞、特別賞を決めるという。合議と総意を繰り返す上記の選考過程の全体は、やや大仰に表現すれば、民主主義的な精神を重視している、と言えるのではないか。
そうした熟議のプロセスを経た上での該当作品なしという結果について、審査員たちは授賞式での講評でそれぞれコメントを述べていた。各人の発言を以下に要約する。


平野暁臣

「我々は今年も例年通り自信をもって世の中に賞を送り出したいと願っていたが、かなわなかった。しかしそれで皆さんの作品の価値が貶められるわけではない。皆さんの作品は数百の中から勝ち残ったわけで、入選したという事実が価値を証明する。しかし上位2賞に至るまでではなかった。これもまた事実。二つの事実に真摯に向き合い、その意味を噛み締めて作品制作に邁進し、そして是非ともまた再挑戦してください」
(平野暁臣:空間メディアプロデューサー/岡本太郎記念館館長)


椹木野衣

太郎賞の審査というのは不思議なもので、例えば芥川賞や三島賞が必ずしも彼らの作風や価値観にあわせて選ばれていないのと同様に、太郎賞も太郎さんの作風や価値観をもとに賞を選ぶわけではないのだが、それでも僕は「太郎さんならどう考えるか?」という点を、自分自身の判断基準とも照らし合わせながら審査をしている部分がある。その上で、今回ははっきりと、二つの賞に値するものはないと感じた。
(椹木野衣:美術批評家/多摩美術大学教授)


山下裕二

「私は岡本敏子さんが2005年に亡くなるまで非常に濃密なお付き合いをさせて頂いた。今でも審査していると敏子さんの声が聞こえてくるような気がする。今年は太郎賞、敏子賞が出なかったが、敏子さんがみたら「もっと驚かせてほしいのよね」と言ったんじゃないか。つまり、我々が審査しているときに、想像をうんと超えるような突出した表現があれば太郎賞、敏子賞を出せたのだと思う。是非、来年以降もチャレンジしてみてください」
(山下裕二:美術史家/明治学院大学教授)



和多利浩一

「今年も毎年のレベルと比べて全然遜色ないと思ったんですが、いざ選ぶとなると、太郎賞はこの人、というのが思いつかなかった、僕らの心が動かなかったというところがあった。最高賞は、なにかこう、突き抜けるような、観客を動かしていくような、そういう力をもった作品にあげるようにしている。特別賞というのは、そういう意味で、太郎賞はあげられないけど、頑張ってほしいという期待を込めて選んだ」
(和多利浩一:ワタリウム美術館キュレーター)


土方明司

「展示の段階から見させて頂いていた。担当学芸員と、今年も面白いね、と話していたこともあって、太郎賞、敏子賞がなかったという結果は、私の中では残念だなという思いでいっぱいだ。それだけ岡本太郎、敏子という名前は強いものなのだろう。本当にふたりとも抜きん出た個性なので、その名に値する賞を与えるという判断にはフィルターがかかってしまうということなのではないか」
(土方明司:川崎市岡本太郎美術館館長)


どのコメントも、太郎賞を与えるほど強い驚きや魅力を展示された作品から受けなかったという、シンプルな理由を語っている。主催者側の平野や土方の口調からは、できれば出したかったとのニュアンスを強く受けたが、筆者が展示を見た上でいえば、椹木、和多利、山下の判断とコメントは納得できるものだと感じた。もちろん観る者によって判断は色々とあり得るだろうし、作品をプレゼンする状態まで仕上げるという点でのクオリティはどの展示者も高かったが、展示全体としては、「もっと驚かせてほしい」という、山下の(敏子の声としての)発言に集約される内容だったのではないだろうか。
ただ、矛盾するようだが、それは必ずしも個別の作品が悪いという訳ではなく、美術作品に対して、特定の価値感に基づき優劣を決める「賞」の負の側面を意識させられもする。同じ作品でも、違う場面、違う文脈で全く違う評価がなされることは珍しくない。先の主催者コメントで岡本太郎記念館館長の平野暁臣は、太郎賞、敏子賞が出なかったことで「皆さんの作品の価値が貶められるわけではない」と言い、それはそうなのだが、「受賞に値しない作品である」と判断されたのもまた事実だ。受賞、入選などで示される序列は鑑賞の意識をどうしても左右してしまう。
そうしたややこしさも含め、以下、内覧会当日に特別賞の作家に限らず会場で興味を覚え話を聞いた作家の展示を中心にいくつか紹介し、会期中の来訪を考えている方への参考としたい。「TARO賞とは?」と考えつつ見ていただければ幸いだ。


授賞式後の集合写真。審査員や主催者が中央に座っている。




特別賞:足立篤史『OHKA』

足立篤史『OHKA』全景
インタビューを受ける足立。特別賞受賞者の中では最も注目が集まっていた。


特別賞の一人に選ばれた足立の作品『OHKA』は、太平洋戦争末、米英を中心にする連合国軍に追い詰められた日本軍が、特攻専用に開発された航空機としては史上初となる「桜花」を、当時の新聞紙を全面に貼り付けたバルーンとして実寸大に再現した立体作品だ。昨年の「BankART Under 35 2022」に選ばれ、「第3期: ナカバヤシアリサ、足立篤史」で発表済みの既作でもある。
ロケットエンジンの噴射口にあたる機体後方から常に空気を送り込み、膨らませた風船状の『OHKA』は、同時に、戦時中に日本軍が開発し、実戦投入してアメリカ本土で死者が出た「風船爆弾」を模してもいる。


足立篤史『OHKA』後方
実物ではジェットエンジン噴射部にあたる部分から常時空気を送り込んで膨らませている。


「記憶を記録する」(BankART Under 35 2022紹介記事より)ことをコンセプトに制作する足立は、戦争や戦争にまつわるモノを「文明人を気取る人間の汚い部分の集合体、愚かさとして興味がある。それを否定しつつガン見している」と言い、会場配布のパンフレットに掲載された作家コメントでも言及するように、バルーンシリーズの第一弾と位置付けるこのふにゃふにゃとした特攻兵器が、観者が過去の歴史を知り、考えるきっかけになってほしいと語っていた。
足立は過去に2014年の第18回展にも応募し、入選を果たしているが、なぜ太郎賞に応募するのかを問うと、それは単純に展示場所が大きく、制約がないからだという。「OHKA」の構想を先に応募した「BankART Under 35 2022」も同様で、サイズの大きな作品を構想したら、「とりあえず太郎賞に投げる」のだという。太郎に対しては、戦中派の作家と認識する以上の特段の思いはないと答えていた。
サイズの制約が少ない等の応募動機や太郎への態度に関する意識は、他の何人かの入選作家も同様のことを述べていて、太郎や敏子という存在を強く意識する主催者や審査員との差を感じた。


足立篤史『OHKA』表面
当時発行された実際の新聞が貼られている。足立曰く「キャッチ-なもの、桜花に関する報道があるものなどを選んでいる」
足立篤史『OHKA』
空気を抜いた状態。タブレットで膨らます工程を見せてくれた。


『OHKA』は特別賞のため、今年もっとも太郎賞に近い作品だ。確かに、プロパガンダにまみれた紙面でくるまれ、ふにゃふにゃの風船となった特攻兵器の姿には独特の滑稽さ、ユーモラスさがあり、今年の会場の中では目立っていた。実寸にした理由も含めて、作品が意図するところも分かりすぎるほどに分かる。しかし、自爆するためだけに設計され、作られた兵器という実際の桜花が持つ圧倒的な狂気の歴史に対し、作家本人が言うところの「記憶を記録する」造形物として充分に対峙できているかは、疑問に思った。
それは作品の数やサイズの問題なのかもしれないし、今回は表面に貼り付けた当時の新聞紙など、記憶にまつわる情報の扱い方かもしれない。受賞作を契機に今後展開されると言うシリーズ化の行方に注目したい。



入選:柴田英昭『コラージュ川柳』

柴田英昭『コラージュ川柳』
作者の柴田と。背後の壁には『コラージュ川柳番付』が展開している。

古新聞や雑誌の文字を切り抜き、作家と参加者が「川柳」を作る参加型アートにして、Twitterでも【毎日一句投稿中」(パンフレットより)というネットでの展開を考慮すれば、メディア・アート、リレーショナル・アートとも定義付けられる作品。ルールは下記の通り。
「新聞などの印刷物を5文字7文字で切り抜き、3枚合わせて川柳を作る」(パンフレットより)
十年以上前からおりに触れ何度か発表され、作家の勤務する美術大学の演習でも取り上げているとのことで、ある種のライフワークになっているのだろうか。会期中、「横綱」などの番付が貼られ、まだ隙間の空いた壁には作家や観客がワークショップ形式で作った川柳で埋められ、柴田が番付を決めていく「コラージュ川柳番付」も行われると言う。


柴田英昭『コラージュ川柳』
テーブル上にはコラージュの見本が置かれていた。
柴田英昭『コラージュ川柳』
柴田英昭『コラージュ川柳』
これまで柴田が作った句が壁に貼られている。

作家の柴田は様々な土地でゴミを作品化するアートユニット「淀川テクニック」として長く活動し、キリンアートプロジェクトやGEISAI等での受賞歴を持つベテランだ。同名義でTARO賞への入選経験が過去にあり(2008年第12回)、筆者も昔から作品は知っていた。今回は柴田個人としての応募となるが、巨大な壁を埋め尽くす川柳の内容には「淀川テクニック」の作品で見せるユーモアのセンスを随所に感じさせ、いつまで読んでいたくなる、飽きない面白さがあった。ゴミを扱うという面で、今や環境問題にかかわる観点からも評価も受ける淀川テクニックの大作と違い、言葉とコミュニケーションにより特化した方向を示すプレゼンテーションとしてTARO賞を選んだのか、それともこの川柳も、ある種のゴミの再利用なのか。いずれにしても、賞という視点を抜きにした場合、個人的にもっとも好きな作品だった。



入選:ながさわたかひろ『愛の肖像画』

ながさわたかひろ『愛の肖像画』全景
左手には1000枚の『ウィズコロナの肖像』。右手にはコロナ前から続け、中断後に再開した『愛』。


前々回の第24回で入選を果たした『ウィズコロナの肖像』に加えて「憧れの人に会いに行き、その場で写真を撮らせていただく。それを元に絵を描き、もう一度会いに行く。(略)絵を介して交流する、押しかけコラボ作品」(パンフレットより)と自己解説される『愛の肖像画』を組み合わせたインスタレーション。
筆者は第24回展に一般客の立場で訪れており、ながさわの出品作も覚えていたので「え?同じ作品」と戸惑ったのだが、今回は巨大な鳥居を中心に配し、2年の時を重ねて1000枚に達した、作家曰く「千日参りの如く、コロナ収束を願って一日一枚描かれた肖像画」と、コロナ後に再開された、本来取り組んでいた制作=『愛の肖像画』シリーズの再開が同時に示されている。


ながさわたかひろ『愛の肖像画』
鳥居をくぐって、「千日詣」のごとく作品を観る。
ながさわたかひろ『愛の肖像画』
一日一枚、報道などで目にとまった記事などから描かれる。
ながさわたかひろ『愛の肖像画』
描かれた日付と人物、作家によるコメント。


『ウィズコロナの肖像』は、一枚一枚の肖像ごとに日付とながさわによるコメントが付されているため、観者はながさわの「千日参り」を媒介に、三年のコロナ禍を自身の記憶や体験と照らし合わせながら振り返ることができる。その間に亡くなった肖像画のモデルもおり、観客の中には身近な人々や自身がコロナへ罹患したケースも多いのではないか。その心理的揺さぶりこそが作品のキモだと感じる。
同時に展示されている『愛の肖像画』は、それを弱めてしまうのではないか。作家としての自分自身をプレゼンテーションする表現としては良いが、インスタレーションの強度という面で中途半端になっている印象を受けた。



入選:大洲大作『Loop Line』

大洲大作『Loop Line』展示風景
赤い円形の中には検温をイメージした写真がスライド映写機で映し出されている。


円環状のレールを回り続ける鉄道模型と、それを映す複数の監視カメラ。カメラからの映像は壁面にプロジェクションされ、映り込む観者も作品内部に取り込む構造になっている。壁には別撮りしてエフェクト処理された通勤電車の車窓と車窓からの写真がループし、隣の天井から下がる布には、スライド映写機から日の丸を思わせる円形の中に配された体温計が映し出される。


大洲大作『Loop Line』展示風景
奥側の壁には電車の模型を映す監視カメラがプロジェクションされている。


各種の配置や照明光も含めた明暗のコントロールは行き届いていて、インスタレーションとしての完成度はとても高い。特に回り続ける電車のカーブ際に画角を設定した監視カメラの、絶妙の浅さに調整された被写界深度で壁面に映し出されるプロジェクションは夢幻的で美しい。スライド映写機が規則的に刻むフィルムの切り替え音と模型の走行音も計算された音響効果になっていた。


大洲大作『Loop Line』
鉄道模型と監視カメラ。
大洲大作『Loop Line』
鉄道模型を撮影する監視カメラ。


大洲大作『Loop Line』
プロジェクションされる監視カメラの映像。
大洲大作『Loop Line』
プロジェクションされる監視カメラの映像。筆者が映り込んだ図。


円環に象徴される生と死の明暗、コロナ禍を理由に管理が強められる生の在り方を含め、その詩的なメタファーは極めて明快だ。受賞に至らなかった理由はそれが審査員を惹きつけるほどの深さや魅力を持たなかった、表層の美しさに止まっていると判断された、からだろうか。



入選:宮本佳美『To see tomorrow』

宮本佳美『To see tomorrow』。作家と。
宮本佳美『To see tomorrow』
宮本によれば、照明の位置が高すぎ、用意してきたライトでは光量が足りなかったという。全体的に中間照明の状態で、画面の白がハイライトとして見えてこない。

太郎賞はインスタレーションの全体を作家が構築する必要があり、作家によっては限られた中でそれを実現する資金も労力もたいへんな負担となるし、照明の設置や見せ方も含めて総合的な経験の蓄積が有利に働くのだろう。
宮本佳美の作品は、画面に対して意図しないであろう光量不足を感じたため、その点を尋ねてみたところ、やはりというか、満足いくようにはならなかったと話していた。本来なら、明度の高い下地の白から暗部に至るトーンのグラデーションが絵画的な見せ場になる作品なのだろう。充分な環境を整えられれば結果もまた違った、のかもしれない。別の機会でまた観てみたいと思わされた。



入選:山田優アントニ『portrait』

山田優アント二『portrait』
100号のキャンバス五枚が十字架状に構成される大作は分離された状態で描かれ、会場ではじめて全てを組み合わせたのだという。見上げたときの垂直性が印象に残る。
山田優アント二『portrait』

TARO賞に応募する作家には、その動機として入選した際に展示可能な空間の巨大さを挙げるケースがままある。特別賞に選ばれた足立も、発表場所が難しいスケールの作品を構想した場合の候補が同賞だと語っていたが、山田優アントニも同様に、「なかなか他にない」その制約の少なさを魅力だと述べていた。
肖像画を生業とする家系に育ち、祖父と父が肖像画家である山田は自身の作品においても肖像画の形式をベースにしているが、それは「現実には存在することのできなかった人の痕跡、あるいは可能性を描いた肖像画」(WHYNOT.TOKYOウェブサイトより)だと言う。
出品作の『portrait』は、100号のキャンバス5枚が磔刑図を思い起こさせる十字状の形態に構成される大作で、全てがつながったその状態が完成系ではあるものの、描いてる時は一つ一つが単独の作品であるかのように取り組んだとのこと。
山田の母はカソリックの信者で、山田自身も幼少期は教会に通っていたため、キリスト教的な要素はモチーフの選択に意識的か無意識的かを問わず、反映されるという。
この規模の大作は、特に天井高の面で展示可能なスペースが限られる。山田の作品も100号一枚では受ける印象が全く異なるだろう。「大きさ」に関する自由がどの程度担保されているかは、単純なようだが、応募する作家にとって無視できない要素となっているようだ。




会場風景

第26回 岡本太郎現代芸術賞展 会場風景
第26回 岡本太郎現代芸術賞展 会場風景


第26回 岡本太郎現代芸術賞展 会場風景
手前にある漫画雑誌の山を使った作品は西除闇『MANgaDARA』


第26回 岡本太郎現代芸術賞展 会場風景
中央は池田はなえ『森のハーモニー』


第26回 岡本太郎現代芸術賞展 会場風景
会場で賞の公式インタビューに答える特別賞受賞者の関本幸治。
作品名は『1980年のアイドルのノーパン始球式』


第26回 岡本太郎現代芸術賞展 会場風景
特別賞を受賞したレモコ-レイコの『君の待つところへ』
第26回 岡本太郎現代芸術賞展 会場風景
特別賞を受賞したレモコ-レイコの『君の待つところへ』


第26回 岡本太郎現代芸術賞展 会場風景
特別賞の澤井昌平『風景』
第26回 岡本太郎現代芸術賞展 会場風景
特別賞の澤井昌平『風景』


第26回 岡本太郎現代芸術賞展 会場風景
川端健太『そこに見えて居ない』


第26回 岡本太郎現代芸術賞展 会場風景
平向功一『流氓』


第26回 岡本太郎現代芸術賞展 会場風景
千原真実『6・6・6』



美術館外観





会期:2023年2月18日(土)~2023年4月16日(日)
会場:川崎市岡本太郎美術館
開館時間:9:30-17:00(入館16:30まで)
休館日:月曜日、2月24日(金)、3月22日(水)
同時開催:常設展「岡本太郎とにらめっこ」
https://www.taromuseum.jp/exhibition.html




取材・撮影・執筆:東間 嶺 
美術家、非正規労働者、施設管理者。
1982年東京生まれ。多摩美術大学大学院在学中に小説を書き始めたが、2011年の震災を機に、イメージと言葉の融合的表現を思考/志向しはじめ、以降シャシン(Photo)とヒヒョー(Critic)とショーセツ(Novel)のmelting pot的な表現を探求/制作している。2012年4月、WEB批評空間『エン-ソフ/En-Soph』を立ち上げ、以後、編集管理人。2021年3月、町田の外れにアーティスト・ラン・スペース『ナミイタ-Nami Ita』をオープンし、ディレクター/管理人。2021年9月、「引込線│Hikikomisen Platform」立ち上げメンバー。




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