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あなたにとっての「母校」とは。

おはようございます。今朝も勢いで書きます。

私がいま住んでいる自宅から歩いていけるところに、私が30年以上前に通っていた大学がある。また、私の奥さんも同じ大学出身なので、年に1~2回くらいは、散歩もかねて行くことがある。

その大学は30年前と同じ場所にあるのだが、いくつかの校舎は建ち替わり、また以前は建物がなかったところに新しく建った校舎もある。他にも体育館などのスポーツ施設で、新しく建てられたものもある。

正門も新しくなり、最寄り駅からの通学路も新しく整備され、私たちが通っていた頃とは大きく変わっている。

そんな大学に私たち夫婦で散歩していると、いくつもの建物が新しくなり、当時とは様変わりしているとはいえ、あちこちに思い出を見つけることができる。

さて、昨日は、大学時代に一緒に遊び、仲良くしていた友達が集まり、大学そばのお店でランチをとり、寒い中、学内を散策した。

まず、ランチは12時に集まり、色んな話をして、気づけば16時を過ぎていた。当時の話をしていると、あっという間に時間が過ぎる。暗くなってしまうと、せっかくの学内の散策が楽しめないので、店を出て、大学を歩いた。

そうすると同じように、新しくなった建物が多く、当時とは様変わりしているとは言え、あちこちに思い出を見つけることができる。それも夫婦で歩いているとき以上に、いくつもの思い出が見つけられる。

なんか、これが母校なんだよな、と思った。

このような思い出は、小中高の母校にもきっとあるはずだ。小中高時代の友達と一緒に、このような機会を持ちたくなった。私は小中高の同窓会のような集まりには卒業してから、一度も参加していない。そのような会が開催されているのかどうかも分からない。

小学校の友達となれば、40年ほど会っていないことになる。会っても顔が分かるだろうか。

さて、今は、地方の学校で、人口減少のために校舎がなくなってしまうニュースを聞くことがある。建物が取り壊されてしまうのだ。それが、やはり母校となると・・・、私は自分の母校がそのようなことになることを考えたことがないが、このままいつまでもあるとは限らないのかもしれない。

母校とは、なんなのだろう?

母校は母校であって、父校でもなければ、兄校でもない。やはり、母校がもっともしっくりくる。

母校へ行くと、優しく暖かい気持ちになる。

そこには、当時の校舎があるだけではなく、思い出がある。そして、その思い出は一人のものではなく、そこには必ず友達や先生、人によっては私のように奥さんや旦那さんとの思い出がある。

やっぱり、母校なんだよな。

母校って、言葉を発明した人は、天才のように思えてきた。

母校を想い、今日もステキな一日に。



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