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4-3. ユクスキュルとカントの関連性、そして。 【ユクスキュル / 大槻香奈考】

本文序章の末尾にこのような文章があります。

これまでは、時間なしに生きている主体はありえないと言われてきたが、いまや生きた主体なしに時間はありえないと言わねばならないだろう。次章では、空間にも同じことが言えることがわかるであろう。生きた主体なしには空間も時間もありえないのである。これによって、生物学はカントの学説と決定的な関係を持つことになった。


この文章について少し検討してみましょう。

当初私は、カントの理論は「物の認識は人間(生物)に因るものであり物自体を観測しているわけではない」といったものであるため(=目の前の物が本当に存在しているどうかは分からない という解釈だった)、本当にユクスキュルがカント的であるのか、懐疑的でした。どちらかといえばユクスキュルは実在論的なように感じたのです。でなければ生物自体(物自体)は存在しないということになってしまうからです。


しかしこれは、ユクスキュルの論理に関して言えば誤った認識だったということがわかりました。カントの理論を引用するならば、

つまり、「客観世界への一致は不可能だが、世界について皆が共有しうる認識は成り立つ。なぜならどの主観も一定の共通規格を持っている(共通のメガネをかけている)からだ」というわけです。――――― 『100分de名著 カント『純粋理性批判』』より

ということになります。

物自体はなにかしらの形で存在していると仮定できます。よって存在そのものは肯定されますが、本来どんな形であるかはわかりません。私たちは事物自体を認識しているわけではなく、あくまでも共通のメガネ(フィルター)を通して一定の共通規格を持ってそれを主観として捉えているわけです。つまり私たちは心の中に入ってきた現象としてしか、物自体を観測できないのです。

これを人間にとっての認識(共通規格)から、ほかの生物へと広げてみましょう。例えば猫にとってはリンゴが赤色に見えるわけではありませんし、ハエにとってはまた別の見え方をしているはずです。これは環世界の考え方とよく似ていますね。生物学がカントの学説と決定的な関係を持つことになったという宣言にも頷けます。

しかしながら私個人としては、ユクスキュルの説がカント的であると共に、量子力学的であるようにも感じました。特に時間(瞬間)の概念については、アルベルト・アインシュタイン(1879年3月14日 - 1955年4月18日)の相対性理論との類似性が見受けられるように思います。

特殊相対性理論が発表されたのが1905年、その後1915年~1916年には一般相対性理論が発表されました。対して、ユクスキュルの最初の著書と思われる『UMWELT UND INNENWELT DER TIERE(邦題『動物音環境と内的世界』)』の発表が1909年。本書『生物から見た世界』の原著の発表が1934年です。
相対性理論はこれまでの物理学の認識を根本から変え、広く注目された理論でした。同じドイツの科学者として、ユクスキュルも影響を受けていたとしても不思議ではないと考えられます。

また、環世界という考え方には、プラトンのイデア論との共通項も多いように思います。ユクスキュルは観察・実験を繰り返して新しい概念を提唱すると同時に、定説(ここではダーウィンの進化論を指します)を鵜呑みにするのではなく自分自身で考え答えを導き出し、また、歴史に学ぶことを大切にしていた生物学者だったのではないかという印象を受けました。

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