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4-6. 生物界の概念と人間界の概念 【ユクスキュル / 大槻香奈考】

言葉としては同じ「故郷」「家」でも、生物と人間とでは意味や成り立ちが違うことは前述した通りです。そこで一つの考えが浮かびました。生物界には弱肉強食の概念はありますが、環世界の優劣という概念は無いのかもしれない、というものです。

もちろん、ユクスキュルの言うように単純な動物には単純な環世界が、複雑な動物にはそれに見合った豊かな構造の環世界が対応しています。

しかし単純な環世界を持つ生物であっても、天敵から身を守るために必要な環世界を持ち合わせていることを踏まえると、環世界の構造の豊かさ=生物として優れている、とは言い切れません。生物ごとの生態の違いは「そういう在り方をしている対象」ということ以上の意味を持たないのです。

そしてある疑問が浮かびました。「必要以上の高等化は、果たして幸せな進化なのか」。

「生命活動を行う」という点にフォーカスした場合、恐らく長い間人間の肉体は特別変化してはいないでしょう。私たちは原始時代を生きた人々と同様、水の中では息ができませんし、鳥のように飛ぶことはできません。起きたのは肉体の変化ではなく生活の変化です。

必要以上に高等化していくことは果たして進化なのでしょうか。生きるということと、高等化することは、そもそも分けて考えるものではないでしょうか。

これらの疑問は私に一つの示唆を与えました。人間界にも生物界のような「ただ在る」という概念が必要なのではないか、と。

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