金曜日の旅人

金曜日。わたしのもっとも好きな曜日だ。なぜならあの金色の光に包まれていると、明日のことなど考えなくて済むからだ。仕事を終えた私は錆びれた自転車に跨り、夜の風を切った。冬はなぜこんなに寒いのだ。凍りついてゆく指先が、うらめしそうに嘆いている。
高架をくぐり、電車を追いかける。久しぶりに晴れた夜だ。街の灯りが生き生きとうるんでいる。くぐりたかった暖簾の先は、すでに人でいっぱい。私は引き返した。また少し自転車を走らせて、次の店でも、やっぱりだめ。金曜日の夜なんて、どこもかしこも酔っぱらいで溢れているみたい。こんなに数ある提灯が、どれも誰かのものだなんて。
しかたなく向かったのは、いつもの中華料理屋。ここはどんな夜だって空いているのだ。窓辺の席についてそっと溜息を吐く。二階席の窓からは金平糖をこぼしたように無闇に賑やかな夜の街が見える。私は紹興酒をひたすら口に運びながら、遠い日を思う。あれから五年、あれから十年……。
もう、思い出さえ、ただの押し花。触れもしない、嗅げもしない、そこに存在したという事実だけが眼に映る。いつだって夜はこんな風にして、私を感傷させる。
さようなら。店じまい。私は立ち上がって、伝票を指で挟む。外は変わらず寒そうだ。コートの襟を立てて、ポケットの財布を探り、私はまた旅に出る。

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