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邪馬台国と卑弥呼…魏志倭人伝は実に正確だった   10.正確に読む:『水行十日陸行一月』その2

 前回の記述を読んで頂くと、A. 旅行記 そして B. 旅行情報に区別があるのは当然である。
 A. の場合、辿った通り書くので、まさしく
  ★船で十日、後、陸路を一月進んだ
ことになる。
 ここで注意すべきは、当時の水行と陸行で一日当たり進む距離はすでに、研究者たちによって大まかに求められている。
 理由は単純で、水行も陸行も一日の進める距離がいい加減(場合によって大きく異なる)であると、情報としての価値は無になるからである。
 陳寿が水行十日と書けば、報告書を読む人は、距離が算定できるからこそ、記述した価値があるのである。
 B. の場合、通常、現代の我々が旅行に行く際に、例えば『大阪から別府温泉に行きたい』場合を考える。大阪にある旅行社に赴いて、『別府温泉に行きたい』と希望を述べれば、行く方法が複数ある場合を想定すると、こんな答えが旅行社から帰ってきそうである:
  ★船で行くと8時間です。電車で行けば4時間で行けます
と言う具合である。
 もうご理解頂けたと思います。行く方法にチョイスがあればこの答えになります。
 そこで、もしA. と仮定して現実的な解が無い場合には、当然、B. と考えるのが常識で、日常我々が遭遇する場面です。
 A. のみに固執して、赤道に至るとか、インドネシアだとか沖縄だとか議論するのは結構ですが、無意味なものに過ぎません。
 B. で考える時に、すでに述べたように『陳寿の進行距離』はかなり普遍的で、現地をよく知らない人にも有用となるように記述されているのは当然なのです。
 先に述べた『水行一日』と『陸行一日』は標準の距離であり、先人たちの中国古文書に基づく統計分析で、
 ★水行一日=37.8km  
 ★陸行一日=14.4km
と求められています(知らないのは勉強不足です)。
 ここで面白いのは、
 ★★水行一日=2.6 × 陸行一日
というおおよその関係が得られているのです。
 船の方が直線的に進めますし、島意外に大した障害物はありませんから、スイスイと進めます。
 陸路は、当時には道路も整備されていませんし、川には橋も無くいのです。道はアップダウンもあり、雨でぬかるみ、寝ることもままならないのです。夜は野獣もいますし難渋するのは当然なのです。現代と違って高速道も、サービスエリアもありません。歩きながら食事をするのでしょうか?
 ここでもう一つ、当時の一月は28日程であり、陸行一月よ水行十日の関係にほぼ合っている、という事です。
 ★★水行十日の距離がほぼ陸行一月と同じ
ことが分かれば、同じ行程を船と陸路で言い換えたに過ぎないことは容易に分かるはずです。 
 そうです、あくまで『水行十日は陸行一月と同じ距離感』であるだけです。
 こんなことで長い間論争を繰り広げて来た研究者や歴史家とは一体何者なのでしょうか。推理力や想像力の働かない典型的な人達に過ぎません。
 そのために人生をかけて研究してきたとは…。


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