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メチャ小さい現代人の物差し(スケール)…古代温暖化・縄文人生百年・金印四千㎞ロマンの旅

 現代は、様々な問題が噴出する時代になっている。気候の変化も温度変動が、観測史上…とか、史上初とか、毎日のように報道される。
 しかし、本当にこれがもう少し視野や時間・時代を拡げてみると、意外な事実に気付く。
 ★★我々の持っている『物差し(スケール)』って、エライ小さい
のである。
 いろいろ意見を言う人も多いのだが、要は『料簡が狭い』のである。
 言い換えると、グチャグチャ言ってる人達って小さいのである。
 ここでは三個の例で見てみよう。

(1)海水温の上昇

・・タイトル上のグラフは、「気候変動と「日本人20
  万年史」」(川幡穂高東大名誉教授)から頂いたものである。
  東京湾の海水温変化である。
  ★★今から2000年ほど前、紀元1世紀~2世紀の、200年間に  
    海水温は5度程度上昇しているのである。
    100年に換算しても、2~3度上昇している。
 国連のグテーレス事務総長が、以下のように叫んだ!
  「地球が沸騰している!!」
 
上の例を見てみると、少し長い目で見るとそれほど大騒ぎするものでも無い。
 
私には、グテーレス事務総長の頭の中が沸騰しているのでは…と思える。

(2)縄文、弥生は人生百年時代

   本件は、note記事で既に紹介している。
   最近の縄文人骨の研究結果から、縄文人は、統計的に
   『縄文人の65歳以上で死亡が全体の32.5%』
   であることが分かった。
   2022年度の総人口124,946,789人(約1億2500万人)であり、65歳以上
   人口3627万人であった。
   ここから現代人の65歳以上で死亡が29%なのです。
 皆さん、この結果をどう受け止めますか?
 現代は、科学が進歩し、医学や医療技術が進歩したので、人生百年時代が到来した!…なんて考えていませんか?これは単なる誤解なのです。
 縄文時代の頃が、健康で長生きし、人生百年を謳歌していました。
【参考】邪馬台国時代・・「魏志倭人伝」によれば、
 倭人伝の中で、報告者『陳寿』は、
    『…其人寿考或百年或八九十年…』
と記述しています。現代語で平たく言えば、
『人々は長寿で或いは百歳、或いは八、九十歳の者もいる。』
となります。これが、おおよそ今から1800年ほど前の現実です。
 ちなみに長寿の天皇もいたようです。

(3)国宝金印「漢委奴国王」4000㎞ロマンの旅

   皆さん良くご存知の例の『国宝金印』です。本件も記事では紹介済み
   です。この頃、今からおおよそ2000年近く前です。
  ★★西暦8-23年 中国『新』の時代。王莽が前漢最後の皇太子の孺
    子嬰より禅譲を受けて立てたくにである。短命であったが、
     ・小作農民のための農地の国有化、奴隷売買の禁止
     ・奴婢を、家の子や召使といった意味の「私属」と呼び、その売
      買を禁止
    というように、奴婢や奴隷が固定化された時代であった。
  ★★西暦25年ー220年 後漢が起きる。
    後漢光武帝(紀元前6年 - 57年)は、
    ・奴卑解放および大赦を数度にわたって実施し、生産力向上と民心 
     の獲得を図った。
  【奴】の意味は、奴婢や奴隷を指す。極めて単純に『奴(婢の)国』と 
   言える。
 要は、後漢光武帝が奴婢・奴隷を開放して自由民にさせたのである。奴国が金印を貰ったことは、中国の史書に記載されている。
  ★★奴国の朝賀について『後漢書倭伝』には、次のように書かれてい
    る。
【建武中元二年倭奴国奉貢朝賀使人自稱大夫倭國之極南界也光武賜以印綬】
ここで、【朝賀】正月に朝廷に出向いて祝を述べること
そう!奴国の朝貢使節は、九州(奴国のあった場所)から洛陽まで朝賀に出向いたのである。
 では、金印『漢委奴国王』はどのようにして奴国にもたらされたか?
 これを知るには、後漢光武帝への『奴国』朝賀使節の足取りを辿ってみよう。
 かれらは、九州・『奴国』を旅立ち、遠路遥々、『洛陽』(下図)まで行っている。
 おそらく『奴婢(奴隷)解放』のお礼と報告に寒期に関わらず長旅に出向いたのでしょう。なんとも心温まる歴史が金印に秘められていました。

奴国から洛陽まで往復4000㎞

我々は日常だけに捕らわれずもう少し視野や時間を拡げて世界や人間の営みを見ると、今までとは、違う景色が見えてきます。


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