見出し画像

3.11に改めて思う:1.歴史的に予測可能だった規模の地震と津波 2.米国東海岸仕様の原発が起こした事故…まず1.

1.歴史的に予測可能だった

 
 平安時代には、貞観地震のように文書や絵に描かれた様子が遺されている。地震や津波規模も東北震災を彷彿とさせる記録であり、この地域には大地震や大津波が起きるという危険性を伝えている。
 記録(日本三大実録)では、要約すると
「869年(貞観11)5月26日の夜に、陸奥国(むつのくに)で大地震があり、強い揺れで立つこともできず、倒れた家屋の下敷きになって圧死した者や、地割れに飲み込まれた者もいた。また、城下に大津波が押し寄せ、1000人ほどが溺死(できし)し、後には田畑も人々の財産もほとんど残らなかったという。」
と遺されている(タイトル上の図)。
 津波堆積(たいせき)物の分布から推定される仙台平野や石巻(いしのまき)平野での津波の遡上(そじょう)範囲は、当時の海岸から最大で3~4キロメートルも内陸に及び、これは2011年(平成23)東北地方太平洋沖地震による津波の遡上範囲と近い。福島県北部ではこの地震に伴う海岸の沈降が確認されており、地殻変動の面からも2011年東北地方太平洋沖地震と類似点がある。
 そもそも地震やそれに伴う津波などの現象は周期性があることはよく知られている。
 従って、何時起きるかは正確には知れないが、起きる…という事は確実なのである。予知や予測を正確に行うことは出来なくとも、起き得る可能性が十分にあるという推測は当然できたハズであれう。
 東北地方には、リアス式海岸も多く、先人達は自分達の経験を伝えるために、『ここより下に家を建てるな!』との石に刻んだ標識を建ててくれていた。

貞観地震の津波は内陸まで

 また地震地域にあった神社は総数の8割以上が被害も受けずに残った。
古来、神社は地元に災害が発生した時に、逃げて行く場所であった。そのため多くの神社は山の高い所に造られていた。
 以上のように考えると、何時かは無理だとしても、起こりえる可能性がある事は『歴史から学ぶべき』であったし、ましてや想定外などという事はあり得なかった
 『想定外』という人達は、地震・津波の事も知らないし、ましてや『歴史すら理解していない』という事であろうから、『語る資格は無し』ということである。
 こういう人達が、無知ゆえに、将来起こりえる被害を甚大化させていることを強く認識しておく必要がある。
 そのような人達が、決定に関与することは悲惨な結末を招くことになる。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?