ちょっとだけ傾いた大人たちの高円寺でラーメンを

地下鉄のひんやりした階段を半ば小走りで駆け下りていると、「うきうきしてるねぇ」と夫に含み笑いをされた。コロナの喪が明けるのも目前、高円寺へのお散歩である。
高円寺。中央線沿線も名高いこの駅といえば、何分まだ私が(今思えば)ぴかぴかの大学生だった頃、随分遊ばせて貰った懐かしい土地なのだ。こつこつ貯めたバイト代でド派手な柄のマーチンを買ったり、メロコアを目指しているのかやっぱりパンクなのか、かと思えば急にバッハを持ち出して音楽理論をぶちまけてくるちょっと面倒な先輩のライブを冷やかしに行ってみたり(びっくりするほどお客さんが少なかったので、かなり気まずい気持ちになった記憶がある)、はたまた飲み屋で相席になったお兄さんとお姉さんから、一度も聞いたことのない事務所の名前と一度も聞いたことのないバンドの名前が書かれたくしゃくしゃの名刺を貰ってみたり。
「銀杏の峯田さんが確かこの辺りに住んでいたことがあって、歌詞によく書いていたので、上京した折に一度歩いたことがある」と、東京暮らしのまだそれほど長くない夫も口にするように、要するに、高円寺は、想像通りの街だ。縦横無尽に枝分かれする商店街が奇跡的に留めているノスタルジー。おじいちゃん、おばあちゃん、家族層、カップル、一匹狼の若者、八百屋さん肉屋さん魚屋さんの合間に古着屋さん、タトゥーショップ、ライブハウスと演劇場。細い路地にひしめいている猫の額ほどの面積の、何を扱っているのかも分からない店舗たち。
死んでもハイソにならないぞという気概が感じられるちょっとだけ傾いた大人たちがたくさん住んでいて、雑多な思い出がまぜこぜになって、胃の辺りをぎゅっと締め付けてくる、そんな街である。
とまぁ、とりとめのない郷愁は置いておいて。

本日の目的である商店街ツアー(夫はなぜか商店街というものが大好きで、商店街を歩くことそれ自体が彼の娯楽の一である)の前に、腹ごしらえがしたい。今日はとんでもなく朝寝坊していまったので、朝食らしい朝食を食べないまま11時半も過ぎてしまったところだ。
「この辺のおいしいお店知ってる?」
と無邪気に夫が問うてくるものの、なにせ私がこの辺りでブイブイいわせていたのはもう幾星霜過去の話であり、更にその頃の記憶を手繰り寄せて「確かあそこがおいしかったなぁ」などと思っているお店の位置すらちょっと怪しい。
「どのお店入ってもそれなりにおいしいんじゃないかな……?」と、結局なんの答えにもなっていない相槌を打ちながら賑わう庚申通り商店街をぶらぶらしいていると、目に飛び込んできたのが、庚申通りにぽつんと置かれた「はやしまる」の赤い看板だった。
はやしまる。響きがなんだか可愛らしいではないか。まる。そしてどうやらこちらのお店は、煮干し出汁のつけ麺を出すらしい。
ちょうど前日、夫とラーメンの話をしていたところで、もっと言えば煮干しラーメンの話をしていたところだったのだ。夫の「つくばで食べたイチカワの煮干し蕎麦が凝ってて良かったなぁ〜」という思い出話に、私が「じゃあ今度ゴールデン街の凪ってとこ行こうよ。すごく煮干し煮干ししてるから」と受けたところだった。おそらくラーメン道を極めた方にはラーメンとつけ麺じゃ全然話が違うのだろうが、私ぐらいの適当さで生きているとまぁ同じくくりである。
「ラーメンだって!」ここどうかな、と言うか言わないかで、夫が「ここ行ってみようか」と口にしたので、じゃあ、という話になった。庚申通りを脇道に逸れて、もうすぐそこである。
覗き込んだ店内は十席程度のカウンターで、若者からご年配まで、おひとりさまもおふたりさまもとお客さんがみっちり入っているものの、もう終盤に差し掛かっているらしき後ろ姿もあり、ほんの少し待てば入店できそうな気配である。お店のお兄さんに一声かけて、少々お待ち下さい、のお言葉を受け、店先で待つ。綺麗なお姉ちゃん……タレントさんかな……がこのお店の塩ワンタン麺を大推薦している新聞記事の切り抜きなぞもお店の脇に掲示してあって、お、これはもしや有名なお店なのか……?などとそわそわしながらメニューを眺める。
んんんんんん迷うけど、やっぱりつけ麺とこのワンタン麺かな!
気心の知れた人間との外食は、人数分あれこれ頼んで交換できるというところにあると私は思っている。勝手に二食分メニューを決めているところが私の図々しいところだが、夫もどうやら同じ意見のようなので結果オーライ。じゃあ醤油と塩とどっちに、と悩んでいる間に、また新しい選択肢が見つかってしまった。台湾まぜそばである。
くぅぅ辛いのも良いな、どうしたもんかな……。
ここら辺、悩みだすと長いのが私なのだが夫はばっさりしたもので、「つけ麺と台湾まぜそばにしよっか!」で即決。すごいな。

くるくると回転するお客さんの流れに乗ってほどなく店内に腰を落ち着けると、ピカピカに磨き上げられたテーブルの飴色具合に反してパウチされた英語メニューがしっかり用意されていて、今どきのお店である。さらに麺が1玉〜2玉まで同一料金というオプションまで。
ご時世柄、食べるとき以外はマスク着用、会話はお控え下さい、の掲示がある中、夫と小声で麺の量について密談し、結果つけ麺を1.5玉、台湾まぜそばを1玉でいただくことにした。ワンタンスープも心惹かれること甚だしではあるが、ここ最近の食欲の衰えに鑑みると若干控えめな程度のオーダーで丁度いいのである。悲しいかな、歳を……取りましたね……無限に食べられると思っていた時期もございましたが……。
前払いでお支払いを済ませ、静かに麺の到着を待つ。カウンターから調理場は丸ごと覗ける仕様になっていて、次から次へと麺を茹で、スープを作り、具を乗せ、と、店員さんお二人のきびきびと動いていらっしゃる姿も気持ちいい。何より既に鼻先をおいしそうなお出汁やガーリックの香りが掠めていく。お腹がぐるりと動きだして、いよいよこちらも準備万端である。
先に到着したのが台湾まぜそば。山椒をかけてもいただけるということで、山椒大好き野郎の私としては心が踊るものの、こちらは一旦夫に譲り、それから程なくして到着したつけ麺を引き取る。麺の上に、のりがぺらりと一枚乗せられているのがちょっと面白い。お蕎麦みたい。
程よく太さのあるつやつや卵色の麺を、おつゆにたっぷり絡めて、つるり。あぁぁ〜このつるり、お店じゃないと食べられないつるりでございます!!そしてまた噛みしめれば、つるりでありつつもちもちでもあり……麺っておいしいなぁ。しみじみしてしまう。つるっと口腔から喉へ流れていくこの感じ。そして噛みしめた臼歯を優しく押し返してくるこの弾力。たまらん。自家製麺と書かれていた気がするので、心の中でスタンディングオベーションしておく。1.5玉と欲張って良かった。夫に遠慮せず、もりもり食べられる。
絡んだおつゆはといえば、こちらは醤油にしっかり煮干し・鰹節のお味が効いて滋味があり、蓮華でひとすくいして口に含んでもおいしい。香りがいい。昨日から腹の底に蟠っていた魚介的なお出汁への欲求がぐんぐん満たされていく。おつゆの底から発掘されし支那竹も、みしっとしていて噛みごたえがあって、お上品すぎないところがまた良し。そして桜色のチャーシュー、これは結構噛みごたえのあるブロックになっていて、噛めば噛むほどお肉の旨みがじわっと広がってくる。シンプルでおいしい、朴訥そうで味わい深い。
ひんやりした麺とあったかいおつゆを絡めてみたり、交互に口に含んでみたりと無限の反復を繰り返していると、このままこのペースで一人で、つけ麺を完食してしまうのでは?という気になってきたので、夫に交代を申し出る。危ない危ない。
そうこうしている間にも店内はお客さんが次々に交代し、ひっきりなしである。おいしいもんなぁ、そりゃ人気店だよなぁ。ところでさっきからラーメンプロっぽいお兄ちゃんたちが頼んでる「あつもり」とは一体何なのだろうか。
後でググろう、と心に決める。世の中様々な世界に様々な専門用語が溢れていて、ラーメン道白帯野郎の私には学ぶべきことが多い。
引き取った台湾まぜそばは、夫が念入りに麺をかき混ぜた後なのですっかり元々の盛り付けの美しさは損なわれいるものの、ころころと大きめのひき肉がたっぷり混ぜ込まれていて、こちらも見るからに食欲をそそってくれる。
ひとくち啜ると、お味噌のこっくりした甘み。その中から唐辛子のひりっとした辛さがじわ〜っと効いてくる。更にひき肉のこってりした旨みと脂が、その辛さをまた丸く収めてくれて、この甘さと辛さの具合がまた丁度いい具合だ。こちらもお箸がぐんぐん進む。おいしい……あぁ、鼻水が出てきた……。ありがたくお店のティッシュで流れ出てきた鼻水を拭う。ティッシュを丸めて鞄にしまう。
途中で別添の山椒を振りかけてみれば、新しいすっとした香りとジリジリしたひりつきが加わって、この痺れもまた良し。もりもり食べてしまう。
最後のなけなしの一口を夫に譲り、またつけ麺を譲ってもらったりなどもして、あっという間に2人で2.5玉を食べ終わってしまった。食欲減退の進む大人二人にも丁度いい腹具合で、大満足である。

「ごちそうさまでした!」とほくほくしながらお店を出ると、お店の前にはいつの間にやらすっかり行列ができていた。土日のお昼時は平日の一時間後ろ倒し、今からがピークである。
「いいタイミングで入れたねぇ」「ほんとだね」
「おいしかったね」「おいしかった!」
夫と口々に言い合ってから、顔を見合わせる。
「有名店だったんだろうね」「ググってみよっか」
ここら辺小市民はミーハーなのだ。恥ずかしいのでお店からちょっと離れて、スマホをいじる。
「「やっぱり有名なお店だったんだ!!」」
食べログ、Googleの星の数の多さに深々と頷きつつ、「わんたんがめちゃめちゃおいしい」「こんなわんたん中国でも食べられない!」といった絶賛のコメントの多さに、あぁ、今度は絶対ワンタン麺頼もう……とひとり心に誓って、高円寺散策は幕を明けるのであった。
どうだい夫よ、また遊びに行きませんかね?

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