能登島(とその道中)で育んだ癖(ヘキ)の話。

この度「令和6年能登半島地震」にて亡くなられた方々に謹んで深くお悔やみ申し上げるとともに、被災された方々に心よりお見舞い申し上げます。

私にとって、七尾市「能登島」は、思い出深い土地であります。幼少期には毎年のように夏休みを能登島で過ごし、現在まで私の中に営まれる「癖(ヘキ)」を育んだ土地でもあります。ざっとそれを並べてみますと・・・

  • 魚釣り好き

  • 魚好き

  • ローカル鉄道好き

  • 高速道路好き

  • 夜のサービスエリア好き

暗い話題であふれる昨今、能登島に育てられた変な人間の幼少の記録を、上記の項目ごとに一つずつ楽しんでいただければと思います。


毎年のようにキャンプで訪れた能登島

90年代前半~中盤にかけて、当時幼少の私にとって能登島は毎年訪れる恒例の土地でした。利用していたキャンプ場も毎年同じで、グーグルマップで検索してみるとどうも「松島オートキャンプ場」という名前みたいです。いわば常連客だったわけです。

キャンプ場は目の前が海になっており、海に突き出た「松島」という半島とともにかなりの好ロケーションです。

半島の付け根付近(記憶が曖昧)には磯があり、日がな泳いだり魚を釣り、夜は焚き火の火を見つめたり、近くの田んぼにホタルを見に行ったり・・・。贅沢な時間の使い方ができる場所でした。

磯の沖数十メートルのところには小島があり、泳げない私は兄や父がその小島へ行って釣りをしてくるのを指を咥えてみていました。

癖その一・魚釣り好き

30代になった今でも、年間10回以上するくらいには釣りが好きです。2023年は近所の漁港で42センチのカレイを釣り、釣魚の自己最大記録を更新しました。

能登島に通っていた当時はといえば、釣りそのものが危ないからと、釣具には触らせてもらえなかったのか、それとも興味がなかったからなのか、釣りはしませんでした。ですが魚には興味津々で、例の小島から「ベラしか釣れない」と帰ってきた父と兄の話を興味深く聞いていました。

隣の芝は青く見える。魚釣りやってみたい。この頃から釣り好きの心は芽生えていたようです。

癖その二・魚好き

釣りと同時並行して、魚も好きになりました。よくあるといえばよくある話なのですが。

兄たちの釣り話を指を咥えて聞いていた当時、既に魚好きの心には火がついており、その頃には、実家でも買ってもらった魚図鑑を食い入るように見ていたのを覚えています。

ちなみに「松島オートキャンプ場」の周りの磯ではキュウセン(ベラ)とカサゴが釣れており、カサゴのほうがあまり釣れないため、家族内ではベラがカサゴより相対的に下に見られていたようでした。食味も一般的にはカサゴのほうが上で、おそらくキャンプ当時も珍重されていたものと思います。キュウセンもムニエルにしたら相当美味しい魚なのですが・・・。

癖その三・ローカル鉄道好き

ここからは、能登島への道中の話になります。能登半島には、JR七尾線から伸びる形で第三セクターの「のと鉄道」が走っています。かつては輪島と珠洲にも路線が通じていましたが、廃線で現在は穴水までとなっています。穴水までの区間でもかなりの被害が出ており、復旧には相当の時間を要すると思われます。

さて、東京から能登島に行く途中に、この「のと鉄道」と国道が並行して走る部分があり、黄色い1両編成の車両を見て「東京にこんなの無い!」とびっくりしたのを覚えています。そもそも単線自体珍しい。

元々自宅近くの鉄道総研に通うくらい鉄ちゃんではありましたが、「単線」「1両編成」という属性になぜかときめいてしまい、それ以来、東京でも「西武国分寺線」「西武多摩湖線」とか、「京王動物園線」「京王競馬場線」といったマイナーで利用者の少ない路線に心躍らせるようになりましたとさ・・・。

癖その四・高速道路好き

元々かなり小さい頃から「地図好き」ではあったのですが、能登島への道中道路地図を見て(当時はカーナビなど無く、スピードを出すとキンコンカンコン鳴る車が走っていた時代)日本地図を貫く青或いは緑色の大動脈「高速道路」にも惹かれていきました。

東京からは、練馬まで一般道で、そこから関越自動車道を北上。当時片側1車線だった北陸自動車道を経てのと里山海道(当時は能登有料道路)から能登島へというルートでした。

我が家は渋滞を避けるために夜中に家を出発し、真夜中の関越自動車道をかっ飛ばし、明け方北陸自動車道へ移って・・・という行程でした。

ゆえに車窓は真っ暗闇でしたが、車窓を流れ行くオレンジの街灯をぼんやりながめながら、ときおり聞こえる「キンコンキンコン」という音ともにうたた寝を繰り返していました。

いまや逆に「高速道路運転するの怖い」「下道でもたいして所要時間変わらん」と住んでいる北海道ではあまり利用しませんが、東京に住んでいたらきっと暇つぶしに乗りに行くような人間になっていたかもしれません。

癖その五・夜のサービスエリア好き

これは意外と共感してくれる人が多いのでは?

好きなサービスエリアは、夜限定で「那須高原SA」「安濃津SA」「高坂PA」「安達太良SA」です(さすがに具体名だとほとんどの人に通じない・・・)。

とにかくとにかく夜のサービスエリアの「真っ暗闇に浮かぶオアシス感」と、そこでいただく真夜中のラーメン。ラーメンの味は醤油が強すぎて学食クオリティですが、それがまた哀愁を誘って、当時から非常に萌えていた覚えがあります。エモいと。

子どもだったからか、夜起きているのが悪いことに思えて、余計興奮していたというタチの悪さも発揮していました。

おまけ・アニメ「花咲くいろは」の聖地「西岸駅」「能登中島駅」

13年前のアニメになりますが、「花咲くいろは」という、石川県の架空の旅館「喜翆荘(建物のモデルとなった旅館はアニメ前に解体)」が舞台の作品が好きで、このアニメからは環境が人を形作るということを強く教えられました。

その作品に出てくる駅が上記2つの駅なのですが、いまだ訪れられておらず、この度の震災でその機会はさらに遠のいてしまいました。

思い出の地に向けて・・・

もはや日本人にとって旅行は贅沢品となってしまいましたが、もし私の癖を育む機会をくれた能登島を再訪する機会がやってきたら、それはこの上ない喜びです。それが意味する所は、日常が戻った「復興」だからです。

いち早い復興のために、自衛隊や消防、役場、土木業の方々など、多くの命が、命を救うために動いています。それはあえて部外者が言葉にすることではないのかもしれませんが・・・。

部外者としては、募金や思い出を語る以上の事が出来ません。自分たちの日常生活で精一杯だからです。

言葉が下手で申し訳ないのですが、能登地方の復興が、様々な方々の意図を汲んだ軟着陸となることを、心より祈っております。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?