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不意に妄想的彼女をNTRれた話。〜コメダブレンドを添えて〜


 以下の文章は、僕が3年ほど前、己の失恋について書いたものに修正を加えたものである。世の何の屈折も無く生きる陽キャ達よ、刮目せよ。これが、盲信と勘違いに満ちたDTの失恋、その散り様である。
(文中に出てくる具体的な人名や店名は架空のものです)


     ☆


 二○一九年十一月の末日、科学史Bの授業を終えて大学を後にした僕は、サンリオのテーマパークがある多摩センター駅で小田急線に乗り換えた後、町田駅で途中下車した。凍てつくような寒さではあるが、幸いにも雨は止んでいる。「いざよい」という居酒屋の前まで来てみると、僕のバイト先の仲間はまだ誰も来ていなかった。僕は一年ほど前から地元のコメダ珈琲でバイトをしているのだが、先日、初めて飲みの誘いを受けた。正直あまり乗り気ではなかったが咄嗟に断れず、気付いたら「コメダ大学生飲み(10)」というLINEグループに入れられてしまったので、しぶしぶながらもやって来た、という次第である。


 しぶしぶ、とは言いつつも、僕は今回の飲み会を全く楽しみにしていないかと言うとそういう訳でもなかった。その理由としてはまず一つ、Uも来ると聞いていたからだ。Uは八月あたりからコメダで働き始めた僕の小中学校の同級生で、中学の部活ではとろろわかめキャプテンの下、ともに白球を追いかけた仲であった。どのタイミングでデビューしたのかは定かでないが、大学生になった彼はチャラい系のちょっとした陽キャになっていた。しかしながら、その人懐っこさと性情の素直さは中学の頃から変わっておらず、Uは僕と出勤時間がかぶったりすると

「お~い、とろろ~!」

 と僕の背中をバンッと威勢よく叩いてきた。要するに、それまで職場に知り合いがいなかった僕としてはとても心強い存在であった。

 そして、僕がこの飲み会に少し期待している理由の二つ目は、女性陣の顔ぶれである。昨日、家で晩ごはんを食べている時、僕はあらかじめ母さんに

「明日晩メシ要らないから」

 と断っておいた。

「なんで?」

 と母さんが聞いてきたので、

「コメダの人と町田で飲んで来る」

 と僕が努めてそっけなく答えると、案の定、それまでリビングのソファに寝そべって漫然とNHKのニュースウォッチ9を眺めていた父さんが、ガバッと俊敏な動作で起き上がった。

「コメダの人と飲み会⁉」

「そうだよ」

「それって、女子も来るんじゃないのか」

「まぁ、来るだろうね」

「コメダって、カワイイ子多かったよな」

「そうね。……ごちそうさま」

 僕は食卓を立った。

 おい、その飲み会に女子は何人来るんだ? 男女比はどれくらいなんだ? おい、とろろ! 父さんの声を背中で聞き流し、僕はリビングを出る扉を閉めた。そのまま二階の自分の部屋へ向かう間、コメダで働く女子大学生の面々が僕の脳裏に次々と浮かんでいた。


 コメダは接客に力を入れているせいなのか、パートさんも全体的に女性が多く、それもコミュ力高めの美人が多い。大学生という括りで見ると例外的に女よりも男が少し多いのだが、それでも今夜は十人中四人が女性であると聞いていた。その中でもFさんは僕の一つ下の大学一年生で、いかにも市川拓司や重松清の小説に名脇役として出てきそうな、清楚で可憐な感じの女(ひと)であった。これはもしかするともしかするかもしれぬ、というあまりにも淡い期待を胸に抱きつつ、やがてやって来た今宵の宴のメンバーとともに僕は「いざよい」の看板のもと、地下へと続く階段を降りて行った。


 店の入口の扉を開けると、まず靴を脱いで下駄箱に入れる様式であった。僕は入口の手前にある傘立てに傘を差し、いざ靴を脱がんとしてナイキの運動靴に指をかけようとしたところで、ふと前を見た。先に脱いだ靴を下駄箱に入れ終えていたFさんが何だかモジモジしている。何事? と僕が思った刹那、あぁ、と得心した。彼女の左手には依然として傘が握られていた。

「扉の外にある傘立てに傘を差し忘れてしまったが、もう靴脱いじゃった。どうしよう」

 というFさんの心の声を聴いた僕は、さりげなく彼女へ手を差し伸べた。

「傘、置いてきますよ」

「あ、すみません! ありがとうございます!」

 彼女の傘を傘立てに差し込みながら、僕の顔は少し上気していた。うむ。少し天然な感じ、悪くない。これはマジでもしかするともしかするかもしれぬ。アメリカンコーヒーくらい薄かった期待が、ブレンドコーヒーくらいになった気がした。


 店内の奥、掘りごたつ式の長テーブルへ案内される。水面下のポジショニング争いに惜敗した僕は、Fさんとは遠く離れた男四人の塊の一角に座ってしまった。いや待て、慌てるな、と僕は己のはやる心を鎮めた。宴もたけなわになれば、席順などある程度滅茶苦茶になるであろう。僕は如才なくパイナップルサワーを注文すると、やがて古参の先輩の音頭で皆と乾杯した。その際、僕のグラスはFさんのグラスに届かなかった。


 十人ともなると、十人全員が一つの話題を共有しておしゃべりするということは難しいのだろう。開始早々、FさんとUを含む男女六人と、僕を含む男四人に分かれてしゃべるという展開になってしまった。バイト仲間とはいえ、大学の友達ほど気心が知れている訳でもないし、僕が含まれる男四人グループは、僕以外皆先輩であった。しかもその三人の先輩たちは

「昔ウチにいた小池さん、閉店後にコーヒーフレッシュでカルボナーラ作ってたよな」

「あぁやってましたねぇ」

「え⁉︎ それ、麺は自分で持ち込んだの?」

 などと僕の分からない思い出話をしている。居場所を失った僕がパイナップルサワーのグラスの置き場所に微調整を加え続けていると、それを見かねたのか、先輩たちが僕に「とろろくんって、酒強い方?」とか「大学では飲み会とか結構行く方なの?」とか話題を振ってくれた。「酒は弱いですね」などと答えながら、僕は思考を巡らせた。せっかく僕を誘ってくれたのだ。何か僕からも話題提供しなければならぬ。しかし適当な話題が思いつかなかった僕は、仕方がないのでチャーハンマンの話をした。部活(体育会系)の合宿の打ち上げで吐いたゲロがチャーハンみたいだったから、それ以降、僕の部活内でのあだ名がチャーハンマンになりました、というだけの話なのであんまり面白くないかと不安だったが、予想以上にウケた。これで調子に乗った僕は、大学の同期の友達が泥酔してアサガオ便器にウ○コをしてしまい、彼の尻拭い(掃除、関係各所への謝罪など)や尻拭い(物理)が大変だったという話や、大学祭の打ち上げの後、僕が川のほとりでみんなにパンツを脱がされてビリビリにされ、それを一般の通行人に見られたがどうすることもできずに終電を逃して大学に泊まった翌日、そのビリビリパンツを内に履いたまま回転寿司(はま寿司)でたまたまその場に居合わせた映画サークルの友人と何食わぬ顔で一緒にお寿司を食べた、という話などをした。いずれも大いにウケた。いつの間にか、僕以外の九人全員が僕の話に耳を傾けていた。Fさんの表情が若干引き気味である気がしたが、アルコールとカタルシスに酔いしれていた僕はそれが危機的であると認識できなかった。加えて、飲み会の初めからUがFさんのことを「アヤカ」と妙に親しげに呼んでいるのにも気付いていたが、やはり理性を司る大脳新皮質がマヒしていたのだろう、僕は「Uもチャラくなったなぁ」としみじみ感じ入るだけであった。


 その後、話題はクリスマスや年末年始に出勤するか否か、みたいな方向へと移行した。

「とろろくんは?」

「僕は出ると思います」

「さすがとろろくん」

「休みにしたところで、僕の出場種目はどうせクリスマス・男子シングルですから」

 我ながら上手い言い回しだと思ったが、今度は少しシラけた。チラッとFさんの方を伺う。まぁあと一か月弱で、そんな奇跡が起こるはずもない。僕は二杯目の青りんごカルピスサワーをぐびっと飲んだ。「とろろくん、さっきからかわいいお酒ばっかり飲んでるね」と隣の女子の先輩に言われたので、「お酒はおいしく飲むのが一番です」と答えておいた。

「Uはどうすんの?」

 先輩の一人がUに尋ねた。

「そりゃあ、休みですよ」

「アヤカちゃんとどこ行くんだよ」

「相模湖に行こうと思ってて。今イルミネーションやってるんですよ」

「えー、いいなぁ! 私も彼氏作ってイルミネーション観に行きたいなぁ」



 なぜかは分からないが、この辺りで、この会話は聞いてはいけない類のものであるという警鐘が僕の深層意識でけたましく鳴り始めていた。血の気がスッと失せていく。



 アヤカちゃんとどこ行くんだよ――


 私も彼氏作ってイルミネーション観に行きたいなぁ――


 私も彼氏作って――








 …… 私、も?




 とろろ的希望的観測宇宙のビッククランチ(大崩壊)は、唐突に訪れた。


「てかさぁ、Uとアヤカちゃんのこと、店長は知ってるの?」

「いや、知らないと思いますけど」

「この前聞いたら、店長知ってたよ」

「え? ちょ、秘密だって言ったじゃないっスかぁ!」

「いやいや、俺は江藤さんに『秘密ですからね』ってちゃんと釘刺したよ」

「人間拡声器の江藤さんに言っちゃダメでしょ」


 ワハハ、と場が湧く。目まいがするのは、もはやアルコールのせいだけでなかった。

「そういえば、とろろくんは知ってるの?」

「あ、そうじゃん」

 いつの間にか隣に座っていたUが、被告人とろろわかめに死刑判決の主文を読み上げた。


「俺とアヤカ、付き合ってんだよ。知ってた?」



 午後十一時過ぎ、僕たち十人は「いざよい」を出た。寒い。寒すぎる。温かいコーヒーでも飲みたいが、ブレンドコーヒーくらいに濃くなっていた期待は、飲んでみたらとんでもなく苦かった。虚ろな酩酊状態の中、なぜか背後から「ちゃーちゃーちゃーはんまん♪」という大合唱がアンパンマンマーチのリズムに乗って聞こえて来る。あぁダメだ。何で傘を代わりに置いてあげたぐらいであんなに舞い上がっていたのであろうか。すぐさま地面に潜り、そのまま日の目を見ることなく土中の微生物に分解されて草木の養分になりたい。もはや何も思い出したくない。僕は1人、己の口からふわふわと立ち昇る白い吐息を見つめ続けた。


     ☆


 今振り返ってみても、全くひどい有り様である。勝手に妄想して勝手に期待し、その結果勝手にNTRの辛酸を舐めさせられ、さらにはチャーハンマンの汚名をコメダで働く妙齢のマダム達にまで知られてしまう羽目になった。何ゆえ、僕の恋はかくのごとく始まる前に終わっているのか。男だらけの体育会系部の呪いなのか、はたまたむくつけきDTの宿命なのか。いずれにせよ、その境遇には背中全体が粟立つようなおぞましさを感じる。ここまで拙い本稿を読んでくださった奇特な読者諸賢のみなさんはせめて、恋を始める前にその恋が既に終わっていないかどうかの確認だけは怠らないようにしていただきたい。この作業をするだけでも、おぞましきDTスパイラルからいくらか距離を置くことができるであろう。いくら確認しても、どの恋も終わってます! というそこの愛すべきむさ苦しい貴君、キミはもう諦めて僕のDT道の後塵を拝し、その叡智に満ち満ちた薫陶を全身で浴びるが良いだろう。



(終)

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