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私がいまの私じゃなかったら

と、考えること、ありません?

私の場合、大抵ボーっとしている時に考えるんですよね。
この想像は、プラスにもマイナスにも働きます。



私は40代の兼業主婦。
職種は…今はweb関係。篭ってPCを動かしてます。
元々は看護師と医療系の会社員。
専門職でした。

一応国家資格を取った。
でも、いまは別分野のパートタイマー。
訳あって医療職から離れたけれど、看護師をしていたことには後悔はない。

でも、早くに「私の将来は看護師だ!」と決めてしまった後悔はあります。
学生時代に、自らの世界を狭めてしまいました。
そんな早計なわが道の決定があって、時を経て、
「私がいまの私じゃなかったら、何になってただろう」
と考えるように。

これはきっと、
「私はいまなら、何の仕事を選ぶかな」
という、いまの興味関心ごとを表すんだと思う。

じゃあ、いちおう並べてみますね。

今ならきっと、建築士を選ぶかな。
難関資格をクリアしないと。
いや、理系がダメだったからなあ。
苦手なんて思わず、もっと勉強しておけば良かった。

でも文系が得意だったから、編集者とかなっても良かったなあ。
憧れだったなあ、出版社。
でも、体力もコミュニケーションも求められる。
ああ、やっぱり勉強に、もうちょっとスポーツもしておけば良かったなあ。

何にしても、
「学生時代にもうちょっと視野を広くして、いろんな経験をすれば良かった」
となってしまいます。

そう多分。
「私がいまの私じゃなかったら、何になってただろう」は、
いまの「自分探し」の一部であり、過去の自分への所望。
幻の憧憬。
いまの自分を振り返ってしまう。

バリバリと働けない自分、働かなかった自分。
思い切ってやりきれなかった自分。
家族に寄り添うためか、自分が諦めただけか。
いままでの選択してきたこと。

それらをたまーに意識した時、気持ちの拠り所がなく、すこーん!と落ちてしまうことがあるんです。

刺激的な日々でもないし、忙しすぎるという訳でもない。
パートという就業形態は、社会の中では特に褒められもしない。

でも、それでも、
"いま"を維持して、家族に寄り添って、その中でもいまよりちょっとずつ暮らしを充たしたいという向上心を持って、過ごしている。
それに、今の職種も嫌いではない。
パートという制度はありがたいと思っている。

「私がいまの私じゃなかったら、
ちがった人生。
ちがった家族。」

とそこまで思うのは、何か"ちがう"。
ちがう職業を想像するだけならば、
多分、私はいまの私でいいと思っているんだろうな。

これからも、たまーに、ふいに同じことを考えるタイミングはあると思います。
落ち込んで人生のこたえ探しをしてしまうこともあれば、
もはや楽しんで、たらればを想像するだけのことも。

大満足でもないけど過不足もそんなにない、いまの私。
人生のこたえはなかなか見つからないけれど、いまの選択肢の中で日々を幸せにしていくのも悪くないんじゃないかな?

いまの私を私だけはこれからも認めてあげよう。


_終わり




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