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會川昇『南総怪異八犬獣』 残酷な「現実」と美しい「物語」の狭間で

 2015年の春は不思議な時期で、一月に満たない間に、『怪獣文藝の逆襲』『日本怪獣侵略伝 ご当地怪獣異聞集』と、相次いで怪獣小説アンソロジーが刊行された時期でした。
 特に後者は、「ご当地怪獣異聞」の副題が示すように、各都道府県に設定されたご当地怪獣を題材に、特撮ものの脚本家たちが競作するという極めてユニークな一冊なのですが――他の作品が全て現代を舞台としているのに対し、一作だけ、江戸時代を舞台とした作品が収録されていました。
 それが本作『南総怪異八犬獣』――舞台は千葉県、登場する怪獣の名は「伝奇怪獣バッケンドン」、そして描くは幾多の時代伝奇ものを送り出し、OVA『THE八犬伝』第一期の構成を担当した會川昇――刺さる人には深く深く刺さる組み合わせであります。

 「この世は無慈悲で残酷であると共に、神聖な美しさに満ちている」というユングの引用に、『THE八犬伝』ファンであれば「おおっ」と思うこと間違いなしの本作ですが、その後もテンションは上がり続けます。
 何しろ舞台となる時代は、信乃と現八の芳流閣の決闘から行徳での小文吾・親兵衛の登場と、前半の山場というべき『南総里見八犬伝』第4輯が刊行され、八犬伝人気が沸騰した文政年間。
 そんな中、観光地となった安房の地に怪物が出現、老若男女が人間業とは思えぬ無惨な死体となって発見されたという噂が流れ――という虚実入り乱れた冒頭部からして見事というほかありません。
(そしてその噂を聞いた馬琴が、執筆を止めると言い出すのもまた「らしい」)
 そしてその噂を聞きつけたのが、古書店主にして江戸の情報屋として知られる藤岡屋須藤由蔵というのも見事ですが、彼によって派遣された居候の筑木七郎と二人の同行者、福地忠兵衛と大童子平馬(彼らもまた全て実在の人物!)が、騒動の陰に潜むものを安房で知る辺りから、予想もしなかった方向にストーリーは展開していきます。

 ――そもそも、『南総里見八犬伝』という作品は、それ自体が虚実が複雑に絡み合った中で成立した物語であります。史実を踏まえつつ、その中に虚構を織り交ぜて話を展開させていくというのは、これは歴史ものフィクションであれば当たり前のことですが、八犬伝の場合、その虚構の部分までもが史実のように受け止められていく点にその複雑さがあります。
 本作は、そんな「物語」としての八犬伝の奇妙に歪んだ姿を描き出すのですが――しかし、それに留まらず、そこに八犬伝の基調を成す「ある概念」を通じて、もう一つの「物語」の存在を描き出すのが素晴らしいというほかありません。
 理想化された「現実」たる「物語」――「現実」からはみ出したところにあるはずのその「物語」が、やがて「現実」を縛るものともなる。本作で描かれた八犬伝騒動はその極端な例ですが、しかし本作に登場するもう一つの「物語」こそが、江戸時代を縛る最大の軛だったのではないか?
 そしてその歪みが、人の強い想いや異界の力と結びついた時、怪獣が――というのは、否応なしに「あの作品」を連想する(しかもここで関わるのは主人公のモデルともなった人物)のですが、それはさておき……

 怪獣もののキモの一つとも言うべき怪獣誕生の理由・メカニズムに、八犬伝という「物語」と、そしてこの時代ならではの――しかしそれは形を変えて現代の我々をも縛るものでもある――もう一つの「物語」の存在を用意してみせた本作は、実に見事な時代伝奇怪獣小説としかいいようがありません。

 そして――こうした「物語」と「現実」という作者ならではのモチーフを使いつつも、その果てに描かれる、残酷な「現実」と美しい「物語」の狭間でもがく者が、それでも、と見せる一瞬の輝きが強く強く印象に残ります。
 作者の物語観、ファンタジー観、そしてヒロイズム/ヒーロー観を窺うことが出来る名品――作者が久々に手がけた『八犬伝』として、そして作者の初の時代(伝奇)小説として、必読の作品であります。


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