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曹操の解釈する風林火山

 魏武註孫子と言う本がある。これは魏の武帝が注釈を付けた孫子のことで、魏の武帝とは曹操のことを指すので、曹操の注釈付き孫子ということになる。

 曹操がこのような注釈を付けた理由は、承認欲求かな。半ば散逸していたのを再編したと言う説もあるけど。それはともあれ、孫子は紀元前6世紀、春秋時代末の本で、曹操の時代は紀元2-3世紀だから、既に800年が過ぎている。800年前の本を注釈無しで理解できる奴は普通いない。春秋時代は戦車に乗って戦っていたが、三国時代は歩兵主力。つまり、戦車が何か既に分からない。その戦車も複数の種類があるから、どれがどのようなものか解説しないと意味が分からない。しかし、この魏武註あまりに簡潔過ぎるので覚書にしかみえない。つまり読み込むには注釈に注釈をつける必要がある。現代の孫子が本編のみ訳ばかりなのはその所為だろう。銀雀山から魏武註以前の孫子が見つかったのもありそうで、ここでは孫臏の書いた兵法書も見つかり、孫子の作者を孫臏とする説が崩れ去り孫子は孫武になったのであった。

 それでは、曹操が風林火山をどう解釈したか見てみることにする。

  • 風 空虚を撃つなり。

  • 林 利を見せざるなり。

  • 火 疾なり。

  • 山 守なり。

 風と林の解釈が大きくと違う。風は素早く動かない。風のように敵の空虚(隙)を撃つこととしている。林は、静かに潜む事ではなく、(軍列を整然とし)敵に利を見せないこととしている。現代訳の風は火に統合されている。

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