日本人三重仮説
理研からプレスリリースがでたやつ。実は、現代日本人のゲノム分析なので、考古学には影響しない。デニソワ人とかネアンデルタール人との混血の結果の方が重要かな。
https://www.riken.jp/press/2024/20240418_2/index.html
しかし、今でてる三重仮説(縄文人、弥生系渡来人、古墳系渡来人)と整合性がとれていない気がする。
一応Y-DNAとの対応を取ってみると縄文系としているのはD-M55(D1a2a) 、東北系としているものはO-47z(O1b2a1a1) 、関西系としているのはO-M122(O2)になりそう。
考古学的には遺跡からDNAが検出されない限り話にならないが、O-47zは未だに由来不明だった気がする。ただし、この集団が増えるの7000年前、4000年前、3000年前辺り。そうするとアカホヤ火山噴火で縄文人が半島、大陸に渡った方が合理的な気がする。大胆な仮説だが10年後には現状の唯物史観で捏造された定説は全部覆る気がする。唯物史観歴史捏造の根幹になる二重構造説はすでに成立していないし。北東アジアから降ってきたとすると北東アジアで有為なハプログループNやC-M217(C2)が余りに少なすぎる。
現在の情報から仮説を立てると山の縄文人と海の縄文人が居て、列島から大陸にかけて住んでいた海の縄文人(倭人と記録されている)が農耕を持ち込んだのが紀元前1500から1000年ごろ。これは人口増加に余り寄与していない。この農耕は雑穀畑作と稲作の二系統が別々に流用している。人口増加は農耕そのものより紀元前500年の燕の鉄農具流入の影響の方が桁違いに大きい。それでも水田稲作は原始的な状態で、既存の湿地などを流用している状態で生産性は低い。古墳時代に灌漑を持ち込んだ古墳人により爆発的な人口増加が起きるシナリオが適当かな(念の為に筆者の妄想であることを付け加えておく「それ貴方の感想ですね」「そうですが、なにか?」)。
こうすると山海経の「蓋國在鉅燕南 倭北 倭屬燕」も説明出来る。まぁ山海経の内容は大半が眉唾だが。
無論、仮説を埋める部分の情報がほとんど欠落しているので断定は不可能。しかし、画期的な遺跡一つで現状の全ての説はがひっくり返る状態だろう。
今頃老害歴史学者が憤死してそう。いや聞く耳がそもそも無いからそれはないか。
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