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近世大名は城下を迷路化なんてしなかった

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近世大名は防衛のため城下の街路を、敵が容易に近づけないように屈曲させたという。しかし各地の城下絵図を見るときれいな碁盤目をしてる城下が少なくない。いったい、通説はどの程度、真なの… もっと読む
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#都市計画

近世大名は城下を迷路化なんてしなかった(23) 第5章 5.4.3. 中世の方格設計都市②

### 5.4.4. 中国における中国式都城制の変遷■ 春秋・戦国時代の城郭都市は周の理想から離れていった さて。古代中国においては商(殷)の時代に方形プランと中心軸プランが始まり、西周の時代に碁盤目街路、すなわち方格設計が都市の理想形態とされたことがわかりました。ここでもやはり、方格設計は車輪が伝達したあとだったのです。 周王朝が絶頂だった時代には、地方都市も、周の理想とした都市計画を自分の都市に用いたようです。これはチーフー・グーチァン(曲阜故城)のレイアウトから推

近世大名は城下を迷路化なんてしなかった(22) 第5章 5.4.~5.4.2. 中世の方格設計都市①

## 5.4. 中世:ローマ植民都市と中国都城制### 5.4.1. 方格設計都市の受容と変遷ギリシアと中原(ちゅうげん)。ふたつの地域で、方格設計都市が、ついに規格化されました。テンプレとして成立しました。 これが、もっとも欠点の少ない都市設計術であったなら、いまごろ世界の都市はすべて、碁盤目で整形されていたことでしょう。それが古代中国人の望みでした。 が、21世紀の現在、世界はそうなっていないようです。なるほど大都市、それも近代以降の都市計画では方格設計が採用され、そ

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近世大名は城下を迷路化なんてしなかった(21) 第5章 5.3. 方格設計都市はなぜ生まれたか

## 5.3. 古代方格設計都市はどのように成立したか?### 5.3.1. 方格設計はどのようにして誕生したのか――従来の説方格設計はなぜ、そしてどのようにして誕生したのでしょうか?広く普及している考え方は、次の通りです。  1. 人類は農耕を始めた  2. 食糧備蓄は人類の寿命を延ばし、人口が増え、都市が生まれた  3. 土地争いがはじまった  3. 平等な土地の配分を迫られた統治者は、土地を格子状に区切って平等に分け与えた  4. 統治者は格子状の土地分割に、平等以外

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近世大名は城下を迷路化なんてしなかった(20) 第5章 5.2.5.~5.2.7. 方格設計都市の誕生②

### 5.2.5. 古代中国:農耕開始は早く方格設計採用は遅い■ まず長江流域で稲作が始まった メソポタミアやインダス川流域では遅くとも紀元前3000年頃には方格設計の芽生えが見られました。古代中国ではどうでしょうか? 中国大陸には北京原人で知られる通り、初期の人類が定住しました。70万年から80万年前のことです。 このスパンで考えるとつい最近ということになりますが、ほんの今から一万年前、紀元前8000年頃には長江流域で稲作が始まったのがわかっています。 これはな

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近世大名は城下を迷路化なんてしなかった(19) 第5章 方格設計都市の誕生①

# 第5章~都市はなぜ碁盤目街路に向かうのか~## 5.1. 世界の都市と比較する意味そもそも、街路を屈曲させることは、防衛上の利点になりうるのでしょうか? 前章まででさんざんディスっておいて、何をいまさら、しらじらしい。……と我ながら思います。 思いますが、疑問よ、そなたは美しい。 皆さんは不思議に思いませんか? 街路を屈曲させるのが防衛において有利なら、なぜ、世界にはそうなっていない、むしろ碁盤の目の城郭都市が数多く存在するのか。 中国の都城制やルネサンス~ゴシ

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