生垣を編む、同じ時を生きる
家のぐるりを生垣が囲っている。
生垣に使われているのはレッドロビン。
新芽が真紅に芽吹く美しい木。春先など、キミたち発光してない?と聞きたくなる輝き。
生命力旺盛で生垣に向いている。
ただ、レッドロビンは枝ぶりのごつさとか葉の大きさとか、ちょっと古臭い。この住宅地ができて20年ほど経つので、その当時の流行りとかもありそう。
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3年前ここに引っ越してきて、荒れた生垣の手入れをはじめた。まずしたことは、死んだ木を根こそぎ引っこ抜くことだ。
三本に一本、死んでいた。
垂直に引きあげると、すっと抜ける。枝も根っこもなくなっていて、魔法使いの黒ずんだ杖のようだった。
恒温動物は生きていると温かく、死んだら冷たくなる。
植物は逆だ。
生きているものはひやりとする。常に水を吸い上げているから。
死んだものは、虚ろな温度。
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植木屋でバイトしていた時に聞いたが、悪い業者は多めに苗木を植える。成長後を考えたら狭すぎるほどキツキツに。多く植えた方が苗木の代金をその分多くもらえるので。
狭すぎるため、ゆくゆくは弱い木が死んでいく。下手したら共倒れで、どの木も。
が、植物の生命力は強いので、すぐにではない。
苗木は一年保障がついているが、その期間は持ち堪えてくれる。
そこから先は知ったことではない。
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うちの生垣たちもそんな植え方をされたのだろう。間隔が狭すぎる。初期のひょろひょろの苗木では目隠しにならないから、密に植えねばならなかったのかもしれないが、それにしても……。
死んだ木を引き抜いたら、ちょうどいいスペースになった。
ところどころ透きすぎていて、子供らの抜け穴になってしまったけど。
大丈夫、気長に隣の枝を横に伸ばして、塞いでいこう。
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生垣には出来るだけ自然でいてほしい。
かっきり四角に刈りそろえられているのは好みじゃない。威圧感のないおだやかな生垣にしたい。
あくまで自然に生えていて、ちょうど目隠しの役割もしてくれるぐらいがいいんだけれど、難しい。自分の思い通りに伸びてくれるものじゃないから。
その木を切ったら、その風景はもう戻らない。何十年もかけて同じ木を育てたって、同じには育たない。
森林ボランティアで間伐の手伝いをしていたころよくそう思った。木を伐るのは風景を不可逆に変えてしまうことでもあるなぁ、と。
そんな感傷にかまけず、伐るものは伐らねばならないのだけど。
*
過去に刈りそろえられていた場所は、見ればすぐ分かる。枝に瘤ができている。
何度もその位置で切られ、何度もそこから成長しようとして、また切られて。その痕が瘤になる。
なんとなく痛ましい。
瘤を見るとつい、そこより深く切って、瘤を取り除いてしまう。一時的に生垣が低くなってしまうのだが。
自分が望む高さで刈った場合、刈った時点が完成形になる。その後の成長はすべて余分なものとなる。その余地のなさが好きじゃない。
いったん低くなっても、そこからもう一度枝葉を広げてのびのびと育つ。その姿を見ていく生垣にしたい。まあ理想通りにはいかないけどね。
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カマキリの卵を生垣のてっぺんで発見。
「ちの〜! いいものあったよ!」
切った枝葉を集めてくれている長男ちのを呼ぶ。
生垣の手入れは次男のお昼寝タイムにちょっとずつ行われる。
長男がよく手伝ってくれて助かる。大きくなったなぁ。
「あっ! カマキリの卵じゃん! かーちゃん、それ取っといてよ!切らないでよ!」
やはりそうなるよね、へいへい、とその枝一本を切らずに残す。両手でがしがし操作する刈り込みバサミを使っていたので、一本だけ残すのはなかなか繊細な作業だった。
刈られて低くなった生垣のエリアに、一本だけぴょんと寝癖のように立った枝。カマキリの卵のアクセサリー付き。
見るたびに切りたい衝動に駆られる。自然がうんぬん言っておきながら、自分の意のまま画一化したいという欲求もある。
でも春のお楽しみのため、我慢我慢。
線のようにひょろひょろの赤ちゃんカマキリたちを見るのって大好き。
*
「えっ!? ぎゃっ!! 何これ!?」
今度は灰色の死体を発見。木の枝に刺さっていた。片手で包み込めるほどの小動物。
そっとその枝を切って、三脚から降りて、死体つきの枝を地べたに置く。
すぐ飛んで来た長男と共にまじまじ見る。
小さなネズミのようだ。手の先やしっぽの繊細さに目を奪われる。頭や腹は食べられてしまったようで欠けている。ミイラのような状態かもしれない。
「かーちゃん、ネズミ、なんでこんなとこで死んだんだろ? 枝に引っかかっちゃったのかな?」
ちょうどそこにお隣のおばあさま・シャトーさんが通りかかった。
「まあぁ、ネズミ!すごいわねぇ!」
シャトーさんも興味津々でネズミを見てくださる。一緒にしゃがみこんで、指が細くて綺麗ね、とお話しした。
共通の思い出が増えたようでなんかうれしい。
「かーちゃん!どこぉ!?かーちゃんんん!」
寝起きの次男の不機嫌な叫び声が、その日の生垣作業終了の合図。
道路に飛び出た枝葉を急いで集めて、次男の元へ。ネズミのついた枝は庭の草むらのかげにそっと置いた。
夕食時にネズミを見たよとだんなに話した。
枝に引っかかって動けなくなったのかねーと言ったら馬鹿にされた。
「何言ってるの、はやにえでしょ!」
はやにえ?
もずの早贄?
え、あ、そっかー!
バッタなど虫のイメージだったが、小動物でもするらしい。画像検索して細目で見てみたら、同じようなネズミがいくつも見つかった。なむなむ。
翌日ネズミの死体はなくなっていた。誰がとっていったのだろう。まだ食べるところがあったのか。
お散歩に出かけようとしていたシャトーさんを呼びとめ、
「昨日のネズミ、早贄だったみたいです!」とご報告。一緒に腑に落ちる感覚を味わいたい。
すると、
「あら、ネズミがいたの?すごいわねぇ」と言われてしまった。
あ、記憶に残ってなかった……。
すっと淋しくなる気持ちを隠して、昨日の顛末を初めて話すかのように話した。
*
2週間かけて刈り込みバサミで刈りそろえる作業が終わった。そのあとは剪定バサミで気になる部分を一本ずつ切っていく。
前述した私の大層な理念は、具現化すると素人らしさ満点のへっぽこがたがた生垣となった。
これだけ時間を費やして、これか。
腕の筋肉痛や手の疲労を感じながら、こんな生垣なければ楽なのにと思う。
ずいぶんな時間を生垣に割いている。でもすぐまた伸びてぼうぼうになる。
誰の役に立つでもない。この時間と行動に意味があるのか?
生垣ではない垣根にすれば、庭のスペースも広がるし、厄介がなくなるのに…。
怠い時の気持ちはずるずる下がっていく。
せめて好きな作業をしよう、としゃがんで生垣の中に潜り込む。光の差し込む中、枝と向き合う。
好き勝手な方に伸びて収拾がつかなくなったものを整理する。
死んでる枝は堅いが、あるところまでいくとポキっと折れる。生きてる枝のスペースを作るためどんどんポキポキしていく。楽しい。
生きてる枝は柔らかいが、しなやかで折れない。
伸びてほしい方向に導き、周囲の枝に絡ませて固定する。そうして生垣を編んでいく時が好き。
それぞれの枝の思惑が錯綜するのを宥めながら、よい未来に繋がるように編む。
好きな作業をしていると、やっぱり面白いこともあったよな、と気持ちが落ち着いてきた。
カマキリの卵もネズミの早贄も、生垣のおかげでみつけられた。厄介なものには豊かさもある。
以前抜け穴になっていたところが、塞がってきていることに気づいた。
編まれた枝たちがうまいこと成長してくれたのだ。
そういえば最近抜け穴を通り抜けなくなってた。
子供らも成長し、抜け穴をくぐれないサイズになったようだ。
生垣と同じ時を生きている。
これから何十年も四季折々、この生垣と向かい合うのだろう。
その時々の自分で。
家族や隣人も巻き込んで。
やれやれと言いながら、面白い時もあるのだろう。
そうしていつか、それらの記憶は切り落としがたい瘤になるのかもしれない。
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