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犬のおっちゃん②

たくさんの犬を飼っていた、犬のおっちゃん①の続きです。
肺がん末期のMさんの自宅に訪問看護に行きはじめ、3週間ほどが経ちました。


ネズミとの遭遇

全ての動物を里親に託し、動物が居なくなったMさんの家には、いつの間にかネズミが住処にするようになった。
ネズミは賢い。
家の者以外が入ってくると、息をひそめて動きを止めて気配を消す。
でも、訪問が頻回になると、やがて「害のない人間」と認識するのか、どこからともなく「がさがさ」「がたごと」と音を立て、壁の中や屋根裏で自分たちの存在を隠さなくなる。
それも慣れてくると、点滴をしている最中に、壁の穴からひょっこりと顔を出して、時々目が合った。

乙女っぽく「きゃーっ」と言いたいところだけど、こちらも図太くなっていて、そんな声は出ない。
「はいはい、いよいよ出てきたな」くらいなものになっていた。

意外とかわいい ねずみ

Mさんのこれまでの暮らし

Mさんは話が好きだった。点滴が終わるまで、たくさんの話を聞いた。
「私は元々神戸で貿易の仕事をしていました。神戸ではマンションを購入し一人暮らしをしていました。結婚はしていません。
ある日、マンションの玄関の前に、子猫が2匹捨てられていて、その子たちが可愛くて可愛くて、その子たちを飼うことにしました。
でも、そのマンションは動物を飼うことが許されておらず、見つかってしまって、そこに住むことが出来なくなりました。

仕方なくマンションを出て、誰にも気兼ねなく動物と過ごせるように、田舎の田んぼの真ん中の一軒家を購入し住むことになったのです。
最初はここから神戸の会社に通っていました。
ところが、今度は家の前に子犬が捨てられていたのです。
その子たちも面倒見ることにしました。
なぜか、子犬、子猫が捨てられる家となり、その動物たちの面倒を見ている間に仕事に行くことも困難となり、早期退職をしました。
50代のことです。

貿易の仕事をしていた・・・
海外にもあちこち行っていた・・・
なるほど、英語が堪能であるわけだ。
趣味は音楽鑑賞と読書、古くて大きな蓄音機が押し入れの中に眠っていた。

Mさんはいつも紳士で、年下の私にもいつも敬語で話していた。
出身地、兄弟の事、家業の事、学校時代の話 などなど・・・
人生のファイナルステージに立った時、自分の人生を振り返る。
その振り返りを今、声に出して表している。
貴重な瞬間、私が聞いてしまっていいのだろうか、と迷いながらも、Mさんの話に聞き入った。

Mさんの夢

「私ね・・・夢があるんです。死んだらね、今まで看取ってきた、たくさんの動物たちと一緒に空を飛びたいんです。
きっと、みーんなあの世で待っていてくれるでしょう・・・
死んだらね、それが楽しみなんです。」
目をつぶって、想像しながら話すMさんは笑顔だった。

動物と一緒に飛びたいんだ・・・

早期退職後、初めのうちは退職金で食いつないでいたようだ。
しかし、そのお金も尽きてしまい、食べるものにも困ったという。可愛がっていた動物たちの食費が賄えず、動物を掲載する雑誌に自分の状況と寄付をお願いしたのだとの事。
世の中には、そういった記事をきちんと見て、応えてくれる人が居たそうで全国各地から現金やペットフードを送ってもらったと聞いた。
北海道から、九州まで、毎月毎月・・・Mさんはそのお陰で生きて来られたと話した。
「恥ずかしい話、ドックフードを食べていたこともあります。味はあまりないが、けっこう食べられますよ」と教えてくれた。
60歳からは年金を早くもらうようにして、慎ましく暮らしていたそうだ。

付き添いのKさん

Kさんともよく話をした。
MさんとKさんのお父さんは仕事仲間だったそうで、Kさんが小さいころからの知り合いであった。イギリス人のお父さんと日本人のお母さんとKさんは元々イギリスに住んでいたそうだ。ところが、彼女の両親が離婚をし、日本で母親と住むことになった後、Mさんが何かと気にかけていたようだ。
たくさんの動物と暮らしているMさんの生活は、動物好きの彼女にとって、とても魅力的で、10代の頃からよく訪ねてきていたそうだ。
Mさんが病気になってからは、それは親身にお世話をし、家族のように心配していた。
買い物や、洗濯、Kさんの母親も手伝ってくれていた。

人生の幕を引こうとしているMさんを囲み、Kさんと私は、今生きていることの不思議や、いずれ自分もそんな時が来ることを想像し、いろいろな話をした。
「私たち、今、毎日頑張らないとね・・・」
死にゆく人から「生」を学んでいる瞬間だと感じた。

犬のおっちゃん③に続く・・・


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