みきまよ

今こそ伝えたい「平穏死」の素晴らしさ。 生活様式が変わり生活の場から追いやられた「老い…

みきまよ

今こそ伝えたい「平穏死」の素晴らしさ。 生活様式が変わり生活の場から追いやられた「老い」と「死」。でも死は、普通で自然な事。死を明るく捉え、お年寄りをあたたかくお見送りする中で、旅立たれた方と、ご家族から学んだことをお伝えします。https://www.mankikai.org/

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亡くなりゆく方から教わったこと・・・

私は看護師です。訪問看護の経験が長いです。 理由あって、今、特別養護老人ホームで仕事をし10年経ちました。今まで、たくさんの高齢者の方のお看取りをさせていただきました。 誰一人同じ亡くなり方は無く、それぞれの方からたくさん学ばせていただいてます。施設での看取りで目指すのは「平穏死」高齢者の自然な営みを妨げず、無用な苦痛を与えることなく、日々を大切に、最期の瞬間まで、「生き切る」お手伝いをしています。 日本には「死」の教育が無いと言われています。 超高齢、多死社会の現代、「死

    • 「平穏死」Fさんの場合・・・不思議がいっぱい💛息子さんに会ってからの旅立ち

      桜が満開になるころ、毎年Fさんのお看取りの事を思い出します。 Fさんは88歳の女性で、15年以上前から認知症を患っておられました。 Fさんは元々眼科医で、当時はずいぶん苦労して医師になったのだと伺っていました。 ご主人も医師で、実は当老人ホームの嘱託医師を担ってくださっていました。一男二女を儲け、息子さんは、訪問診療をされる、在宅の緩和ケアの医師で、他県で開業されてました。 Fさんの様子 認知症を患って数年はご自宅で生活していました。認知症初期の頃には、ご主人と一緒にスイ

      • 私は、この方のように亡くなりたい  Mさんからの学び(訪問看護編)

        大腸がんを患ったMさん(72歳)、緩和治療後、自宅に戻り、彼がどのように過ごしたのか。そして、最期どう締めくくったのか。 Mさんの最期に関わらせていただき、「わたしも、こんな風に死にたい」そう思うお看取りでした。 病気がわかるまで Mさんは、奥さんと二人暮らし 二人の娘さんはそれぞれ独立し、家庭を持っておられました。 お孫さんは一人 ご自身は定年退職後、友人と趣味のゴルフや釣りをして過ごしていました。クラッシックが好きでコンサートにも出かけていました。 地域の役員も積極的

        • 「平穏死」Yさんの場合~命を使い切るってどういうこと?~

           Yさんは100歳の女性でした。 98歳まで一人暮らしをし、ほとんど自立した生活を送っていました。 水墨画が趣味で立派な絵がたくさん自宅で保存されていました。 ある日自宅で、急に倒れて、救急搬送された病院で急性膵炎がわかり、入院治療され、4週間後リハビリ目的で転院しましたが、その後自宅に帰ることは出来なくなり、施設入所となりました。 Yさんの日常生活 Yさんは食べることが大好きでした。 施設で月に一回開催される「パンの日」には、大好きなパンをたくさん買って、ご自身の部屋に

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          「平穏死」Fさんの場合~終末期の点滴、する?しない? ご家族の意見が合わない時・・・

           Fさんは96歳の女性でした。 とっても気が強く、はきはきと物を言い、イエス、ノーをはっきりと伝えてくださる方でした。 アルツハイマー型認知症で10年ほど前から要介護状態で、足の筋力も衰えて車いすでの生活でした。  ご主人はだいぶ前に亡くなり、子どもは長男、次男、長女の3人、次男は独身で長い間母親と生活していました。 自宅での介護が難しくなり、施設に入居されました。 Fさんの施設での生活  陽気で明るい性格のFさんは、歌が大好き。 いつも歌をうたい、ノリが良く、周りの人を

          「平穏死」Fさんの場合~終末期の点滴、する?しない? ご家族の意見が合わない時・・・

          「平穏死」Hさんの場合・・・・・・ 許し許され送られた最期

          Hさんは88歳の女性。 若い時にご主人を亡くし、小豆島で、女手一つで助産婦をしながら一人娘を育てました。娘さんは大学進学の際に、地元を離れ大阪に転居。その後からHさんは長年一人暮らしをしていました。 施設入居時の様子 Hさんは、10年前から認知症を患っていて、小豆島で一人暮らしが出来なくなり、一人娘さんが引き取って同居していましたが、誤嚥性肺炎で入退院を繰り返すたびに、認知症が悪化し、ご自宅での生活が出来なくなって、施設に入居されました。 実はHさんは、娘さんのご主人と折

          「平穏死」Hさんの場合・・・・・・ 許し許され送られた最期

          犬のおっちゃん③

          犬のおっちゃん①②の続きです。 季節は梅雨 だんだんMさんの言葉数は減ってきて、眠っているような日が続きました。 外の雨音はMさんにとっての子守歌の様に感じました。 その頃の様子 Mさんの交友関係は豊かで、ある時には有名企業にお勤めのお偉いさん。 ある時は宗教関係の方、昔からの知り合いの獣医さんも家族で訪ねて来てくれた。九州から、お姉さんも駆けつけてくれた。 もちろん、Kさんも毎日来てくれていた。にぎやかな毎日だったが、Mさんの家は鍵も無く、夜間は不用心。 Mさんは、自

          犬のおっちゃん③

          犬のおっちゃん②

          たくさんの犬を飼っていた、犬のおっちゃん①の続きです。 肺がん末期のMさんの自宅に訪問看護に行きはじめ、3週間ほどが経ちました。 ネズミとの遭遇 全ての動物を里親に託し、動物が居なくなったMさんの家には、いつの間にかネズミが住処にするようになった。 ネズミは賢い。 家の者以外が入ってくると、息をひそめて動きを止めて気配を消す。 でも、訪問が頻回になると、やがて「害のない人間」と認識するのか、どこからともなく「がさがさ」「がたごと」と音を立て、壁の中や屋根裏で自分たちの存在

          犬のおっちゃん②

          犬のおっちゃん①          ~訪問看護での経験~

          10年前、施設看護師になる前は、長い間 訪問看護をしていました。その中で忘れられない方のお話をまとめたいと思います。 地域で有名な犬のおっちゃん  Mさん 当時、私は病院での訪問看護に当たっていた。 「大変臭うございます」そう言いながら、Mさんは診察室に入ってきた。 ある年の3月はじめ、少しだけ暖かくなってきた穏やかな夕暮れ、ボロボロの服に、伸び放題のひげ・・・ ひどい身なりのMさんの訴えは 「右の胸がピリピリと痛み、だんだんひどくなっている」との事だった。 診察した

          犬のおっちゃん①          ~訪問看護での経験~

          「平穏死」Oさんの場合

          お見送りの決断までの道のり ご主人が悩んで悩んで、平穏死を選ばれた最期 Oさんについて Oさんは80歳の女性でした。主介護者であるご主人は88歳。お二人暮らしでした。ご長男を若い時に病気で亡くし、次男は学校の校長先生をされていました。 Oさんは16年前(64歳の時)にアルツハイマー型認知症を患い、徐々に進行し要介護5の状態となり施設入所されました。 全介助で食事も何とか全介助で食べられていましたが、だんだん口腔内にため込むようになり、口を開けてくれなくなりました。 私た

          「平穏死」Oさんの場合

          「平穏死」Tさんの場合

          97歳 Tさん お話し好きの女性で、ご主人は先に亡くなられており、施設に入居された時には、すでにお看取りの状態ではないかと思われるくらい、食事が摂れず、瘦せていて、小さな小さな体格の方でした。 心不全と認知症を患っていました。 「おねぇちゃん」とスタッフを呼んでは、いろんな話をされました。 若いころは、ずいぶん苦労をされたようです。 地域ではご主人と役員などをされ、とても面倒見が良かったそうです。 息子さんや娘さん(遠方)お孫さんに大切にされ、お孫さんとはタブレットを使用

          「平穏死」Tさんの場合

          今こそ伝えたい、高齢者の穏やかな人生の締めくくり方「平穏死」

          現在の様子 私は、日本の「看取り」の文化を変えたい。 そんな思いがあります。 超高齢多死社会の現代において、毎日4300人もの人が亡くなっているのに、日本人には「死」の教育が無さすぎます。 昭和51年を境に、病院死が在宅死を上回り、病院で亡くなる人が80%近くなり、同時に核家族化も進み、日本人の生活から「老い」と「死」が遠のいてしまいました。 「死」は100% どんな人にもやってくるのに、学ばずに医療に依存してしまうことで、平穏で穏やかな人生の締めくくり方が出来にくい世の

          今こそ伝えたい、高齢者の穏やかな人生の締めくくり方「平穏死」

          人は生きてきたように、亡くなる・・・と教わった Cさん         お茶会をしながら、お見送り

          出会った時の様子  アルツハイマー認知症で、精神科病棟から入居されたCさん。車いすに安全ベルトで固定され、頭にはヘッドギアを装着していました。 意思疎通困難で無表情のCさんでした。  施設では拘束ゼロですから、入居と同時に安全ベルトを外し過ごしていただきました。すると、どうでしょう・・・一生懸命立とうとされるのです。 両脇を抱え立っていただき、歩行の訓練を行うと、あれよあれよという間に、自分で歩けるようになったのです。 その歩いている様子は、ニコニコ笑顔で出会う人には、きち

          人は生きてきたように、亡くなる・・・と教わった Cさん         お茶会をしながら、お見送り