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ライフミッション: 2 Different, yet the same

私の半世紀の人生の中でキーワードとして、おりに触れ自問するのは

What's the difference? and What's in common?(相違点と共通点)

という二つのこと。意識的にではないけれど、この二つをいつも問い続けながら生きてきた気がします。

通訳ガイド・通訳翻訳の仕事、英語を教える仕事など、私がさせていただいているお仕事は日本と他の環境に住む人たちを「つなぐ」ことがその中枢にあります。それは言語という媒体を私が担う、またはその学習をサポートするなど、基本は日本と他文化間を行ったりきたりするお仕事です。またこれは言語だけに限らずその背景にある文化についても同じく行ったり来たりします。言語と文化は切り離せないからね。また人生の中で海外生活と日本の生活でも同じで、このことを意識させられる場所に常にいます。

その時に二つの環境(ここでは日本VS他の国)の違いと共通点をまず最初に考えちゃうのです。例えば通訳ガイドとしては、日本の文化が海外のお客様の文化と何が違うのかを明確にし、そのことをお客様と一緒に発見し話し合う、何ていうことがあります。また英語を教える状況においては、伝える方法や言葉のチョイスは違えど、同じ気持ちやマインドを異なる言語やジェスチャーで伝えるように、例を示す場合、などなど。

Trevor Noah の Born a Crime という本を読んでいます。

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彼のホームページ(Thanks for the photo):
https://www.trevornoah.com

彼は南アフリカのアパルトヘイト時代終盤から民主主義へと移行していく時代を体験してきた人で、今はアメリカでコメディアンとしてまた司会者として大活躍しています。文化や言葉のもたらす境界線について意識がとても高い人。その彼が著書の中で言葉の違いこんなふうに書いています:

Language brings with it an identity and a culture, or at least the perception of it. A shared language says ”We're the same." A language barrier says "We're different."
(私の主観入り意訳:言語には、言葉とともに(その言葉の)アイデンティティや文化がついてくるもんだ。そうでないとしても少なくともその言語に対する見方というものがくっついてくる。同じ言語を話すことができる人たちの間では「我々は同じ」という意識が生まれ、言葉の壁があると「我々は違う人間だ」と思いがちだ。)

アパルトヘイト政策では南アフリカ原住民の民族間の言語を意識的に残すことで民族間の争いが起こるよう意図的に仕向けた、と彼は言います。アパルトヘイトについては知識不足の私ですが、言葉についての見解は、彼の卑劣な体験からくる言葉の重みを感じつつ、共感を覚えます。

人間みんな違う、でも最終的には同じ。それが私のライフレッスン。私が暮らしたアメリカやニュージーランドの様々なバックグランドの人たち。元夫の家族のいるイングランドやタイ。ヨットで訪ねた太平洋の小さな島々の人たち。また日本を訪ねてきてくださる世界中の方々・・・。人生で出会ったどんな方とも「違い」を感じつつも「同じ」だということを感じさせてもらえることに、私は喜びと心の安らぎを覚えます。そのことを私はたくさんの方に感じていただきたい。それを感じたら、きっと世界で紛争は起きない、と私は思いたい。だって自分と「同じだ」と思える人たちを傷つけたいとは思わないからね。

「MITSI、何いうてるん。言葉が違っても海外の方とのやりとりは普通に接してるってば!」という方も多いかな?そうだと嬉しい。でも少数派であれ、共通言語がないことで "We are different" そんな気持ちが生まれるとしたら、私はそのギャップを埋めることを人生の第一のライフミッションとしてまだまだ頑張りたいな。それは皆さんの英語力アップであったり、異文化を受け入れるマインドセットだったり、また通訳ガイドとして異文化を伝えるフィルターとしての役割のあり方についでてあったり。様々な形で私がお手伝いできる場所を探して、小さいながらもBaby Stepを踏んでいきたいです。

みなさん一緒に頑張ろう!

Born a Crime 日本語版もありますよー。

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