見出し画像

「須田一政への旅・旅ふたたび」

追悼 須田一政 (日本写真家協会会報への寄稿)

 2020年11月に刊行された須田一政写真集「 EDEN」。2019年3月に他界された後にこれだけのボリュームの新作を上梓される写真家も珍しいのではないか。思えば、いつも須田さんは口癖のように「新作でしょ新作、写真は !」と言っていた。70年代から次々と意欲的な作品を発表。自分の「型」を自らが壊しながら、挙げ句の果てにウロボロス神話のように自分で自分の尾を噛み円環として現代写真の最前線をグルグルと廻り続けてきたのが須田さんだった。
 そういえば名作「風姿花伝」(1978)の中に執拗にストロボを浴びせ撮り続けた「蛇」の写真がある。それは同じ写真集の中にある伊豆の旅館で撮られた「鏡台」の写真と対極的なイメージがある。そこには物語のような情緒性はない。ただただ鱗の煌きの官能を共有することから、もう一つの須田作品との対話が始まる。そしてそこから連なるイメージはしっかり構築されぬまま、何度も途中で裏切られていく。ポラロイドであったりミノックスであったり、秘儀のようなラバー・フェティッシュやヌードであったりと、まさに「脱皮」する写真表現に私たちはみな唖然とした。須田一政という写真家像を思い浮かべること自体が「妄想」なのだと自らが言わんばかりだった。それらは全て、須田さんが若い頃カメラマンとして働いた寺山修司・天井桟敷の舞台のようだといえなくもない。
 しかし、晩年、須田さんは明らかに「彼岸」を見ていた。住み慣れた神田から千葉に居を移してから、房総のとりとめのない風景へのこだわりは、時として「神」と交感し、虚空から自身を見つめ、なおも写真を撮り続けることでのみ叶う至福へと歩んでいったのではないか。
 美学としての「粋」あるいは「芸」の達人が超越するところの実在とはなんだったのか、新しい写真集「 EDEN」を何度も見返しながら、写真家が掴んだ「確信」を想像している。合掌。

             日本写真家協会会報への寄稿より 2020年    


  須田さん、残念ながら、私は千葉の「雀島」にまだ行けていません。少し風景が変わっているようです。2020年から続くコロナ禍にあって、そんな身近な風景すらも大きく変貌を余儀なくされているのかもしれません。雀島にも行けていないのに、私の夢は、須田さんの千葉の写真を千葉県のとこかでたくさん見たいというものです。できれば公共の美術館で、「須田さんのちば」をやっていただきたいと思っていますが、こればっかりは私一人の力でどうにかなるものでもありません。しかし、懇願していることは各方面に伝えていきたいと思っています。その節はよろしくお願いいたします。
 私もだんだん須田さんの歳に追いついてきそうです。しかるにたいした写真もなく、迷いや悔やみや焦燥の毎日です。それでも、もう少し「旅」を続けてみたいと思っています。いまだに私にわからない、解明できない須田さん謎を追いかけたいです。「須田一政への旅」はもちろん「写真への旅」であるのでしょうが、孤独をかみしめ、ウロボロスのように自分で自分の尻尾を噛みながら、この時代を生き抜いてみたいと考えています。

                        2023年3月   大西みつぐ
                                


古くから様々な読者に支持されてきた「アサヒカメラ」も2020年休刊となり、カメラ(機材)はともかくとして、写真にまつわる話を書ける媒体が少なくなっています。写真は面白いですし、いいものです。撮る側として、あるいは見る側にもまわり、写真を考えていきたいと思っています。