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僕が「レッドイーグルス北海道」に入団した理由

こんなにも早く御利益がある神社があるのかーー。

レッドイーグルス北海道のチーム関係者から正式な入団オファーが届いたのは、4年ぶりに開催された日光「弥生祭」で、日光二荒山神社まで「花家体」を引いた直後だった。

選手生活終焉の日

新年度になり、日光でも桜の木が見頃になった2023年4月某日、昨シーズンまで所属していた日光アイスバックスとの契約更改交渉の席に着いた僕は、そこで自分のアイスホッケー選手としてのキャリアの終わりが告げられることを覚悟していた。
自分ではまだ現役にこだわりたい気持ちが強かったが、そのシーズンの出場機会、チームGK陣の年齢層など諸々を考えても、やはり契約延長の可能性は限りなく低いことは自分でも理解していた。
長かったようで短い、波瀾万丈な僕の選手生活が、アイスバックスで終わりを告げるーー。
それはそれで誇れる終わり方だと、自分に言い聞かせた。

「来シーズンは構想外、今シーズンで契約満了です。」

GMからその言葉を告げられた瞬間も、気持ちは不思議と晴れやかだった。
子供の頃から大好きだったアイスホッケー。競技が嫌いになって辞めてしまう人もいる中で、僕はこの競技が心から好きなまま辞められるだけ幸せだと思うようにした。
「14年のプロ生活で300試合以上に出場、日本代表にも選ばれた。お前はもう十分やった。」
誰かがそう言ってくれれば心はもっと穏やかだったかもしれない。
現実的に他チームからのオファーはないだろうと考えていた僕は、自分を納得させるための材料をかき集め、GMからの移籍を目指すかどうかの問いに対し、その場で「引退」の答えを出した。

迷いなくそう言えたのも、準備ができていたからかもしれない。年齢も36歳になり、出場機会も激減した中で、現役を退いた後の準備をしない方がむしろ不思議なくらいだ。引退後のキャリアを考え、アカデミーを受講したり、実務経験を積むための機会を自ら得たり、人生の次のステージへ歩み始めるための準備はできていた。
(だからこそ、昨シーズンは最後の1年だと思って、僕なりに必死に頑張った。)

それでも、帰り道の杉並木を車で走っていると、まるで木々一本一本にこれまでのアイスホッケー人生での出来事が刻まれているかのように、たくさんの想いが込み上げてきた。
憧れだったチームからオファーが来た日のこと、一人で中国に渡ったあの日のこと、試合に出られない悔しい日々、完封してヒーローになったあの日のこと、辞めたいと思うくらいに辛い思いをしたことーー。
その全てが、今日で終わると思うと目頭が熱くなった。
僕は走り慣れたはずの杉並木の先の、未だ見ぬ道へ向かって車を走らせた。

その日から、僕の”転職活動”は始まった。

思いもよらないオファー

昨シーズンまで所属していたアイスバックスのチームメイトたちと共に、日光の伝統のお祭り「弥生祭」の手伝いに参加したのは、転職活動を通して数社の企業から面接の案内が届いた頃だった。
チームからの引退発表(公式リリース)を3日後に控えたその日、僕は久しぶりに会ったチームメイトや日光の知人らに、”引退の挨拶”を交わしながら、自分がアイスホッケー選手ではなくなることへの実感が徐々に湧きはじめていた。

「弥生祭」では、「花家体」と呼ばれる装飾された車輪付きの”屋台”を、日光二荒山神社境内に繰込む(急勾配の参道を引っ張り上げる)のだが、それがなかなかの重労働で、アイスホッケー選手が5人いても到底太刀打ちできないほどの重量がある。(その場にいる観光客などと一緒に引っ張りあげる)

レッドイーグルス北海道の関係者から第一報の連絡が届いたのは、非力ながらに渾身の力を出し、やっとの思いでその花家体を境内に繰込むことができたその直後だった。

正式なオファーではなかったが、今後についてのことを訊かれ、GKの獲得を検討していることを伝えられた。
他チームとの契約交渉が解禁されている時期であったので、僕は引退の意向をチームに伝えたことや、転職活動の進捗などを簡単に説明した。

まさかレッドイーグルス北海道から連絡が来るとは思ってもみなかった僕は、電話を切った直後、正直戸惑った。
戸惑ったと言うよりも、とても興奮している自分がいた。

日本随一の強豪クラブであるレッドイーグルス北海道。「自分には縁がないチーム」と勝手にレッテル張りをしていたわけだが、現実として本当にオファーが届いた時のことを考えると、こんなにもワクワクしている自分に驚きを覚えたと共に、自分の中にまだ”アイスホッケー少年”の心が残っていることに気がついた。

「レッドイーグルス北海道で獲得したい。」
正式オファーが届いたのは、第一報のすぐあとだった。

僕は冷静を装いつつも、すぐにオファーがあったことを妻に報告した。
(今思えば、この時すでに僕の中で答えは決まっていたのかもしれない。)

一度は引退を決意し、仕事や次に住む家の準備も進めていた中、いろいろな可能性と制約を考え尽くしたが、その場ですぐに答えを出すことは難しかった。
ただ一つ言えたのは、正式オファーをもらった時の心境が、学生時代に憧れのチームからオファーをもらった時の心境と同じであったことだ。
「大好きなアイスホッケーがしたい。」
そう叫ぶ、自分の心の声がその時確かに聞こえた。

帰宅後、正式オファーの後に届いた条件面などを考慮しつつ、妻と冷静に話し合う時間を設けた。妻の心境も複雑だっただろう。それでも、妻はオファーがあったことを心から喜んでくれ、背中を押してくれた。

こんなにも早く二荒山神社の御利益に預かる人は、未だかつていなかっただろう。

現役続行

レッドイーグルス北海道からは、オファーへの返答期限が設定されていたが、実はそのギリギリまで、僕は返答をすることができなかった。
冷静になればなるほど、これからの生活のこと、今後のキャリアのこと、仕事のことなど、可能性よりも制約が頭をよぎった。
またチームには、現日本代表の成澤選手や、小野田選手といった実力と実績を兼ね備えた優秀な同ポジションの選手が在籍し、出場機会を得るには相当な努力が必要であることも明白だった。
果たして自分にもう一度その覚悟があるのか?
返答期限まで僕は自問し続けた。

それでも、今このオファーを断れば、いつかその選択を後悔する日が必ず来るということは僕の中で明らかだった。
「必要とされる限り現役を続けたい」
そんな僕の本心を思い出し、自らレッテル貼りをした偽りの自分を脱して、もう一度挑戦する決心がついた。

「ぜひプレーさせていただきたいです。」
そうレッドイーグルス北海道に返答したのは、オフシーズンで妻の実家へ帰省するために飛行機に乗る直前だった。
覚悟を決めたはずなのに、電話をかける時、緊張で少し声が震えたのがわかった。
僕は自分や家族の人生を左右する決断に、ビビっていた。

返答を聞いたチーム関係者は、喜びと感謝の意を僕に伝えてくれ、僕が選んだ道を全力で後押ししてくれるような、そんな覚悟と誠意が垣間見えた。
その時僕は、アイスホッケーをやっていて本当によかった、そう心から思った。

家族と乗った飛行機が離陸した。
いつの間にか東京の空は、雲ひとつない青空になっていた。

覚悟と挑戦

チームに合流してから、1ヶ月ちょっとが経過した。
この時期のトレーニングは、これまで自分が経験してきた中でもハードな方だが、日々、現役選手であることへの感謝と、チームメイトと鼓舞し合えることに喜びを感じている。
朝起きて身体のどこかしらが痛い感覚、氷上練習前の緊張感とワクワク感、過酷なトレーニングに向かう前の憂鬱感さえも、その全てが今の僕には新鮮だ。

一度は現役引退を決心した僕が、またこうしてプロアイスホッケー選手として”生き返る”ことができたのは、必要としてくれるチーム、背中を押してくれる家族、応援してくれるたくさんの方々の存在のおかげに他ならない。

覚悟を持って選択した自分の人生。
この先にどんなことが待ち受けているのかはわからないが、歩み続けたその先に、光り輝くものがあると信じて、僕はもう歩みを止めない。

日光二荒山神社で入団オファーの電話があったあの日の出来事は、御利益ではなく、僕にきっとこう問いかけていたのだろう。

「お前が本当にやりたいことはなんだ。」と。


【あとがき】
最後まで読んでいただきありがとうございました。
当初、このエッセイは無料公開にする予定でしたが、内容がなかなか赤裸々で、タイミング的に公開するのは今じゃないなと思ったので、急遽メンバーシップ限定(有料記事)にしました。
(少し内容に驚かれた方もいるかもしれませんが…)
とは言いつつも、「井上光明」という選手を皆さんには包み隠さずお伝えしたいと思いますし、僕が持つストーリーこそ、僕の最大の強みだと思っています。
本当に読みたいと思う方に届けられれば良いのですが、もしこのエッセイを読み、少しでも皆さんの心が動かせたのであれば、シェアしていただけるととても嬉しいです。

※2024年3月8日追記
本日、レッドイーグルス北海道から現役引退リリースがありました。
引退表明に際し、このエッセイを無料公開設定にいたします。

長きにわたり応援していただき、本当にありがとうございました。

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