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1勝35敗。思いがけず渡った異国の地で、唯一挙げた1勝の話

「グゥアンミン!」

「光明」の中国語発音で僕の名前を呼び、1勝35敗のシーズンで唯一挙げた勝利のウイニングパックを手渡してくれたのは、チームメイトの中国人、ジンナンだった。

2009年9月。僕は大学卒業後に入団が内定していた名門実業団アイスホッケーチーム「SEIBUプリンスラビッツ」(株式会社プリンスホテル)の廃部決定を受け、一度は競技引退も覚悟したが、最後の最後で入団オファーをくれた中国のチーム「チャイナドラゴン」に入団することになった。
チャイナドラゴンは中国アイスホッケー協会が運営する中国で唯一のアジアリーグチームで、事実上の「中国代表チーム」だ。チームメンバーおよそ30名のうち、外国人枠で入団していたロシア人とベラルーシ人の2人を除き、全員が中国人で、日本人は僕1人だった。ロシア語と中国語の通訳はいたが、もちろん日本語の通訳はいない。
その環境は劣悪であることは知らされていたが、どうしてもアイスホッケーが続けたいという思いだけで、僕は入団を決めた。
※当時のアジアリーグアイスホッケーは日本、中国、韓国のチームが参加していた

実業団の名門チームに入団し、順風満帆なキャリアを歩むはずだった僕のプランは跡形もなく崩れ去り、そんな異国の地でプロアイスホッケー選手としてのキャリアは始まった。

今日は僕が、そんなルーキーシーズンで挙げた唯一の1勝の話をしたい。

茶色く濁った水

突然中国で始まった僕の"新社会人"としての生活は、大卒一年目の僕にとっては過酷すぎた。中国行きが決まってから、渡航するまでのたった1週間で慌てて中国語の勉強をした。最初に習ったのは「自分の名前の発音」だった。
まさか22歳になって自分の名前の発音を練習することになるなんてーー。
これから始まる異国の地での生活を思うと、底知れぬ不安を覚えた。

中国北部のハルビンという街に、チャイナドラゴンの本拠地はあった。
チームには学生寮の1室を用意してもらい、そこで僕の新生活は始まった。
到着した日は、長旅の疲れからか食欲もなく、シャワーも浴びずに眠りにつきたかったが、チームに合流したら中国人選手たちに受け入れてもらえるのだろうかという不安と緊張で、ほとんど眠れなかった。仕方なくシャワーを浴びようとしたら、蛇口から茶色く濁った水が出てきた。
「なぜ自分だけがこんな思いをしなければならないか。」
そんな誰かを責めたくなるような感情をグッと押し殺し、その日は無理やり目を閉じた。

次の日の朝、朝食会場で初めてチームメイトの中国人選手何人かと顔を合わせた。
精一杯の勇気を振り絞り、「你好」と挨拶したが、愛想なく頷いてくれただけでそれ以上の会話はなく、独特の香辛料の味がする朝食をそそくさと済ませ、もうすぐ始まる初めてのチーム練習のための心の準備をした。

生ぬるいビール

練習初日は、とにかくめちゃくちゃ緊張した。奇跡的に誰か日本語か英語ができる人が話かけてきてくれないかと願ったが、そんなことはなく、内気な性格の僕は自分から話しかけに行くこともできなかった。とにかく、はじめは周りの中国人選手たちの視線が怖かった。

氷上練習が始まった。ゴールキーパーの僕は、ただひたすらにチームメイトのシュートを受け止めた。言葉はわからない中で、ただ一生懸命にシュートを受けることが、彼らとの僕なりのコミュニケーションだった。

そんな日々を過ごしていると、徐々にチームメイトの中国人にも受け入れられるようになった。言葉はわからずも段々と話しかけてくれる選手が増え、週末に食事に誘ってくれるチームメイトや、僕のために日本語の本を買ってきてくれたチームメイトもいた。監督の管理が厳しかったチームで、夜な夜な「来」の漢字一文字がPCのメールに届き、部屋を抜け出してみんなで飲んだ生ぬるい瓶ビールは格別だった。

必死に中国語の勉強もした。日本人の僕を受け入れてくれたチームメイトの中国人選手たちと、もっとちゃんと話がしたいと思った。それまで抱いていた中国人選手に対しての感情が、僕の中で変わり始めていた。

徐々にできた溝

10月。その年のアジアリーグが開幕すると、競技レベルで日本や韓国のチームに劣るチャイナドラゴンは、開幕から連敗街道をひたすらに進んだ。チームメイトと仲良くなることはできたが、ここはただの仲良しチームではなく、アジアリーグというアジアのトップリーグで戦うチームだ。
そんな中で、チームメイトの中国人選手たちは、試合に負けた直後もロッカールームでヘラヘラと笑い話をし、「試合に負けるのが当たり前」といったような態度でいた。彼らが本当に勝ちたいと思って試合に臨んでいるのかも疑問で、僕はだんだんと彼らの態度に腹立たしさを覚えるようになった。
中国では彼らは「公務員」としてプレーし、例え活躍しても試合に勝っても年俸が上がるわけでもないので、そんな彼らの文化や背景を考えるとモチベーションが上がらない理由も一定は理解できたが、それでも僕の腹立たしさはおさまらなかった。
ある日の練習の中で、その腹立たしさに我慢できず、感情をぶつけてしまったこともあった。少なからず、彼らとの間に溝ができはじめてしまっていた。

ジンナンがくれたウイニングパック

12月、それは上海で行われた試合だった。対戦相手は、これまで全敗を喫している日光アイスバックス(僕が現在所属しているチーム)、この日は僕の両親と兄が初めて中国まで応援に来てくれた日ということもあり、どうしても勝ちたかった。

試合は3-3で迎えた最終ピリオド残り3分、ついに勝ち越しゴールを奪った。先発出場していた僕は、残りの3分間を死に物狂いで守る。周りの選手たちも、明らかにいつもと目の色が違い、ゴールを守ろうと必死だった。相手のシュートをセーブするたびに、ベンチから「好!(ハオ)」と声が飛び、最高の雰囲気の中、試合終了のブザーは鳴り響いた。

勝った。
単身、右も左もわからない異国の地に来て、何十試合も負け続け、何事も思い通りにならない自分の人生を呪いたくなっていた中で、いつも負けてヘラヘラしていたチームメイトたちが、この日は勝って喜びを爆発させていた。

本当は彼らも勝ちたかったのだ。

僕は、表面上の彼らの姿にしか目を向けられていなかったのだと、その瞬間に気がついた。彼らが心の中で何を思い、どんな情熱を持ってアイスホッケーというスポーツを選んだのか、想像しようともしていなかった。
彼らのことを誤解していた自分を恥じながら、僕はチームメイトたちと共に、プロとして人生で初めて挙げた1勝の喜びを噛み締めた。

そんな中、ふと僕の元にやって来て、僕に初勝利のパックを手渡ししてくれたのがジンナンだった。ジンナンとは歳が近かったが、そこまで仲が良かったわけではなく、どちらかというとあまり喋ったこともない選手だった。そんな彼が、わざわざ試合後のパックをもらいに行ってくれたこと、監督やキャプテンではなく、僕にパックをくれたことを思うと、涙が出るほど嬉しかった。

結局その日上海で挙げた勝利が、僕がチャイナドラゴンで挙げた唯一の1勝になった。

全ての出来事には意味がある

なぜ自分だけがこんな思いをしなければならないのかーー。
中国へ渡ったばかりの僕は、いつもそうやって自分の人生で起こる出来事を否定的に捉えていた。思い通りにならないことを他責にし、自分は悪くない、周りや環境が変わればいいとばかり考えていた。

あの日の1勝、あの日ジンナンが僕にくれたウイニングパックは、そんな僕の否定的な考え方を一蹴し、どうしてもアイスホッケーがしたくてこの地へ来たということを、もう一度僕に思い出させてくれた。

たとえ文化や言葉が違い、思い描いていた未来からかけ離れた環境にいても、自分が本当に大切にしたい思い、人の心の奥にあるものに目を向ける大切さ、そしてスポーツが繋ぐ国境を越えた絆があるということを教えてくれたのは、大好きなアイスホッケーというスポーツを続けられたからに他ならない。あの1勝が、僕にそれを気づかせてくれた。

全ての出来事には意味がある。

この先の人生で、どんな困難や試練にぶつかっても、僕はそう強く信じることができる。

この記事は、日本財団HEROsが主催するエッセイコンテスト「#スポーツのチカラを感じた瞬間」を参考に書きました。
https://note.sportsmanship-heros.jp/n/na9d00722b166

Twitter:@mitsu70

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