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小さな出会い 南北アメリカ自転車縦断 コロンビア(1)

ボゴタに着いた次の日、まずはチェさんと両替をしに銀行へ。100ドルのトラベラーズチェックをコロンビアペソに換える。1ドル2,284ペソなので、だいたい2,000ペソで100円と思えば良いだろう。

チェさんはATMを使うが、やり方が分からない。代わりに私がチェさんのカードを預かり、暗証番号も教えてもらって、現金を引き出す。(今後悪い人に捕まらなければ良いけれど(笑)。)

コロンビア人はとても親切で、道を聞くと本当に丁寧に教えてくれる。また、チェさんがバックからカメラを取り出して街の写真を撮っているときに、「バックに気をつけろ」と注意してくれる人もいた。(逆に言うと、それだけ所持品の管理は気をつけないといけない、ということかもしれないけれど。でも街を歩いている限り、治安が悪い感じは全くなかった。)

昼はチェさん、日本人のMさんと3人で「侍や」という日本食レストランへ。とても遠いところにあって、バスで行く。片道1,000ペソ。1,000ペソというとなんかかなり高そうだが、実はたったの50円。

私自身は食事には全く無頓着で、日本食を食べたくなるようなことはないのだけど、他の日本人旅行者とつるむとどうしても日本食レストランに行くようになる。(そしてお金が余計にかかる。)でも、実際そこで食べたテンプラ定食はめちゃくちゃ美味しかった。

店のご主人が非常に話好きで、正直ちょっとうるさいくらいだったのだけど(笑)、彼に一つ言われたのは、「自転車で旅しているなら、自分からそれをアピールした方がいいよ。そうすれば『じゃあ、おごってあげようか』ってなるからね」ということだった。

実は私は最初は自分が自転車でまわっていることを彼に伝えていなかった。色々と会話をする中、だいぶ後の方で「実はアラスカから南米まで自転車でまわっています」と言ったら、彼はビックリしてそう言ったのだった。

基本的に私は「自転車で旅行しています」ということは自分からは積極的には言わないようにしている。別に自転車で旅行しようが徒歩で旅行しようが、それはその人が好きでやっているからで、別に特別なことではないから。

実際、同じ宿に泊まった旅行者の中にも、私と仲良くなったか、あるいは私の自転車を目撃していなければ、私が自転車で旅していることを知らない人はそれなりにいたと思う。

でも、彼の言うことは一理ある。自転車旅行自体特別なことではないにせよ、それが話のきっかけになるならば、積極的に使っていくことは大事かもしれない。(それで本当に何かおごってくれたらラッキーだし(笑)。)

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翌日もチェさんと一緒に行動する。まずはボゴタを代表する観光名所、黄金博物館へ。入口で入場を待つ中学生の集団に出会う。学校の課外授業で来ていたらしいが、チェさんがカメラを取り出すと、皆どっと集まってきて記念撮影。その後誰が思いついたのか、日本語と韓国語を書いてくれ、と言われて、彼らの名前を書いてあげる。そのうち、腕に書いてくれ、とか、制服のワイシャツの胸の部分に書いてくれ、とか(大丈夫?)。(でも、女の子の胸の部分に書くのはさすがにちょっと緊張した。変なところを見ないように、、、(笑)。)

展示の方はもう圧巻の一言。よくまあ、ここまで黄金を集めましたね、、、。さすが黄金の国「エル・ドラド」。

その後、街をブラブラしていたら、たまたま大学の前を通る。大学生達が皆こちらに注目している。

こんなときは、チェさんが社交的な性格を存分に発揮してくれる。女の子達のグループのところにいって、まずはチェさんのカメラで一緒に記念撮影。さすがコロンビア、という感じで皆めちゃくちゃ可愛い。(自分一人だったらこんな可愛い子たちに話しかけるなんて恥ずかしくてとてもできない。)

彼女達のうちの一人が英語を話せたので、いろいろ話をする。彼女は法学部の4年生。(大学は5年制とのこと。)将来は弁護士になって国によって苦労を強いられている人たちを助けたい、と言っていた。若さで輝いていた。

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3月17日、いよいよボゴタを出発。チェさんともお別れ。いろいろ面倒くさいこともあったけど(笑)、一緒にいて面白いこともたくさんあった。別れ際にTシャツをもらう。服は最低限しか持っていないのでこれはかなり有難かった。再会を誓って、自転車に跨る。彼はずっと見送ってくれた。

ボゴタは南米有数の大都市だけあって、市街を抜けるのにはかなり苦労したが、近郊のソアチャを抜けるとようやく田舎道となった。

まずは21号線を進み、ラ・メサを目指す。しばらくは登り。汗だくになるが、標高が高いせいか休憩するとすぐに汗が引く。

コロンビアは自転車が盛んな国で、そのため途中まではサイクリストがとても多かった。山沿いの道で景色が良いせいか、地元のサイクリストにとって定番ルートになっているようだった。

それからものすご~く長い下り坂。15㎞くらいは下った。下る前は山と牧草地だったが、下りきったらバナナの木が目立つ。空気が纏わりつく。暑い。

下りきってからはまた上りになる。だったら最初からずっと高いところを走ることができればよいのに。下りか上りで、平らなことろは全くない。

ラ・メサの食堂で昼食。ご飯の上に肉とジャガイモ、それに豆を煮たものがかかっている。中南米では定番の定食。3,500ペソだったが、それにレモネードを追加したので、合計4,000ペソくらいだろうと思って5,000ペソ札を渡したら、2,000ペソ返してくれて「3,000ペソでいいよ」と言ってくれる。感謝して有難く受け取る。

この日は結局ヒラルドーまで走った。久々のサイクリングだった上に、ボゴタから130kmほど走ったのでもうクタクタだった。1泊20,000ペソ(=1,000円)の宿に泊まる。

ヒラルドーは標高たったの300m。今日1日で2,000mも貯金を吐き出したことになる。ボゴタはあんなに快適だったのにヒラルドーは暑い。特にこれと言った見所もなさそうな典型的な地方都市のようだった。街をぶらつくがとにかく暑い。スーパーで買い物して早々と宿に戻る。

ホテルの部屋は冷房が無かったので、部屋も暑い。扇風機を回してなんとか生きられる感じだった。

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前日の疲れが残っていたので、翌日は50kmほど先のイバゲに泊まることにする。イバゲまではほとんどずっと登り坂だった。

途中道沿いの掘っ立て小屋のような食堂でコーラを飲みながら休憩していると、労働者たちが4,5人立て続けにやってきて、そこで食事をする。彼らの一人が店員に何か言うと、その店員が私のところにスープを持ってきた。彼らが奢ってくれたのだった。ライス、ポテト、野菜が沢山入っていた美味しいスープだった。

彼らは皆私に興味津々で、いろいろ質問してくるのだが、こちらがスペイン語が分からないのが非常につらい。

1つ教えてもらったのは、この先の町ポパヤンから世界遺産であるサン・アグスティン遺跡公園への道はゲリラが出るので絶対に行くな、とのことだった。

コロンビアでは会う人会う人皆親切だった。それなのに彼らの口から「ゲリラ」という物騒な言葉が出るというこのギャップ。これこそがコロンビアなのだと思った。

スープで力をつけて、残り20㎞ほど登りを頑張るが、イバゲの町に入る直前で雨に降られる。

ちょうどカフェテリア形式の食堂があって、そこの屋根の下に逃れたのだが、たまたま長距離バスが休憩で停まっていて、そのバスの乗客だった女の子に話しかけられる。超絶的に可愛い。う~ん、スペイン語が分からない、、、。このときほどスペイン語を学んでおけば良かったと後悔したことはない(笑)。

彼女はなぜか1枚の名刺をくれた。店の名刺のようだが、それがどの都市にあるのか、どのような店なのかは全く分からなかった。住所らしきところに「km 4」とあったので、どこかのハイウェイ沿いの店らしかったけど。

彼女は一旦バスに戻ったがまたやって来て、ビスケットをくれようとしたが、これは遠慮しておいた。

バスはその後すぐ出発したが、お互い手を振る。ほんのちょっとした出会い、もう二度とない出会いなのに、なんかとても嬉しい。

イバゲの街に入って、1泊15,000ペソの宿にチェックイン。イバゲは標高1,300m。雨に濡れたので、少し寒いくらい。シャワーは水なので少しだけ気合が必要だった。

夕方街をぶらつくと、広場でバンドがトラディショナルなラテン音楽を演奏していた。メランコリックでとても良かった。


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