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アキヒトホテルの謎 南北アメリカ自転車縦断 ベリーズ(1)

12月18日、チェトマールのユースホステルを8時前に出発。朝の海沿いを走る。静かでいい感じ。ほどなくしてメキシコとベリーズの国境へ。

アメリカのグランドキャニオンで出会い、今では私のずっと先を行っているスイス人サイクリストのニコラスからのメールによると、「メキシコ出国には3USドルが必要」とのことだったが、何の請求もされなかった。きっとニコラスの3ドルは「強制プレゼント」だったのだろう。発展途上国のイミグレでは非常によくあることだ。

ベリーズに入国するにはビザがいるが、国境で取得できると聞いていた。ちゃんと申請書ももらえたのだが、それには写真を張る欄がある。写真は持っていない。すでにメキシコは出国してしまったし、もしこれで写真が必要となると困ったことになる、、、。

と心配になったが全くの杞憂で、写真無しで恐る恐る提出したらあっけなく受理された。しかし費用は25USドル。これは正直かなり痛い。30ドル払ったら、お釣りとして10ベリーズドルをくれた。ベリーズは1USドル=2ベリーズドルの固定金利制を採用している。

入国審査後、税関で軽くバックはチェックされたが、トラブルはなく無事ベリーズに入国できた。

ベリーズに入った途端、黒人の数が多くなる。また、なぜかやたらとチャイニーズレストランが多い。食堂の3分の2はチャイニーズだ。

これはどちらもベリーズがイギリス由来の国であることが関係していて、黒人が多いのは昔イギリス人がアフリカから黒人奴隷を連れてきたからだし、チャイニーズレストランが多いのもきっと香港系の移民が多いからではないかと思う。(香港は昔イギリス領だったし、ベリーズは現在もイギリス連邦の一員である。)

陸続きなのに、国境を越えたとたん町の様子や雰囲気がガラッと変わるのが面白い。

ちなみにベリーズはラテンアメリカでは数少ない公用語が英語の国である。

小さな集落をいくつも通る。高床式の家が多い。また、いくつかの集落にはコンクリートむき出しの建物が建っているが、その建物には「ハリケーンシェルター」と書かれていた。きっとシーズン中は凄い奴が来るのだろうな。

集落と集落の間は一面サトウキビ畑。ちょうど収穫の時期らしく、「よくまあそんなに積めましたね」と言いたくなるくらいサトウキビ満載の大型トラックが何台も通った。

国境から50kmほど走ってベリーズ第2の都市、オレンジウォークに到着。(第2の都市といっても人口はたった1万少々だけど。)まだ昼だけど今日はここで泊まろうと思う。

腹が減ったので、ホテルを探す前にまずは昼食にする。商店でコンビーフ、パン、牛乳を買い、隣の店が閉まっていてなおかつ日陰になっていたので、そこで座って昼ごはん。道行く人みんなにじろじろ見られる。確かに、これで自転車がなければ浮浪者に見えるだろうな、と自分で自分を見て思う。

町の中心部らしきところに出てみると、「Akihito Hotel」というホテルを見つけた。あれ、アキヒトって、確かそんな名前の人が天皇家にいなかったっけ?このホテルの経営者は日本人だろうか、、、と不思議に思いながら、せっかくなのでこのホテルに泊まることにする。

フロントのおっさんは、東洋系で日本人に見えなくもない。日本人か聞いてみようと思ったが、どうせホテルの台帳に名前を書くので、もし彼が日本人ならそれを見て話しかけてくるだろうと思い、まずは名前を書く。しかし彼はそれを見ても何も言わなかった。実は中国人だろうか?よく分からない。

1泊25ベリーズドルで、アメリカドル換算で12.5ドル。まだベリーズの相場が良く分からないので何とも言えないが、この金額はこの国にしては高いような気もする。部屋自体はシンプルでベッド以外何もないが、きれいではあった。

早速街をぶらついてみる。スーパーを探すが個人商店しかない。しかも午後の時間はだいたいどこも閉まっている。町の中央広場もあっけないくらい何もない。

本当にイサギヨイくらいに何もない。ここまで何もないと、思わず笑いがこみ上げてくる。

いいぞ、いいぞ、オレンジウォーク!

夕食はベリーズ入国祝いということで、少し豪華にと思い、たくさんあるチャイニーズレストランの1つに入る。「ホンコン・チャウメン」とコーラを注文。量はそれなりにあって満足できたけど、それにしても16ベリーズドルは高い。ベリーズは貧しい国ではあるが物価はかなり高いようだった。

夜、ホテルの部屋で日記を書いていると、別の客と主人が料金の支払いに関して言い争いをする声が聞こえてきた。二人は英語で会話をしていたのだが、最終的に客の方が折れて金を支払ったときに、主人はなぜか「アリガト」と言った。でもその言い方はいかにも日本人でない人が言いそうな感じだった。

果たして彼は日本人なのだろうか。しかしその後彼に会うことはなく、分からないままになってしまった。(ちなみに奥さんは中国人だった。)

※※※※※

次の日はオレンジウォークから100㎞ほど離れたベリーズ第一の都市、ベリーズシティーに向かう。

さびれた集落とサトウキビ畑の中のサイクリング。車が少ないし追い風で快適。

、、、と思ったらパンク。しかも前タイヤのパンクはこの旅行で初めて。ガラス片が突き刺さって、チューブにまで穴をあけていた。

替えのチューブはもうないのでパッチで穴をふさいだが、これでパッチも無くなってしまった。ベリーズシティーで買わなければ。でもスポーツ車にも使えるようなちゃんとしたもの売っているんだろうか。かなり不安。

ベリーズシティーに着いて、アメリカで購入したロンリープラネットというガイドブック(ロンプラ)に載っている宿に行くが、宿近くの商店の中国人のおじさんは、「そこは最近閉まった。Sea Guest Houseへ行け。日本人はみんなそこに泊まる」と言う。「日本人はみんな」って、そんなに多く日本人がベリーズに来るとは思えないが(笑)、ロンプラには載ってないその宿に行ってみる。

宿の入口に変な黒人のおっさんがいて、「ワンダラー」とうるさくつきまとわれたがもちろん無視して、チェックイン。1泊20ベリーズドルだった。

街をぶらつく。ベリーズシティーはベリーズ最大の都市だが、そうは言っても人口5万人ほど。活気は全然ない。公園には汚い恰好をした黒人の男たちが何人もベンチで寝ている。(「汚い」のは自分も大して変わらないけど。)なんか空気がよどんでいる感じ。

さすがにスーパーはあったが、自分が普段買うような食料品は下手するとアメリカのスーパーよりも高い。国自体はかなり貧しいはずだから、これだけ物価が高いと国民が困るのではないだろうか、とちょっと心配になる。もしかすると貧しい人はスーパーでは買い物しないのかもしれないが。

ベリーズシティーはカリブ海に面したリゾート地でもあり、そのため高級ホテルが建っている地区もある。歩いているのも西洋人で、「ここは欧米のビーチリゾートです」と言われても信じてしまうくらい、そこだけは完全に他の地区と隔離されて存在している。

きっとこれらのホテルはどこも欧米資本だろうから、リゾート客が使った金の大半はベリーズに残らずに先進国に回収されてしまう気がする。もちろん現地の雇用は生まれるけど、その分観光公害も発生するから果たしてベリーズにとってどれだけのメリットがあるのだろうか。まあ、観光公害に関しては自分も引き起こしている訳だからとやかくは言えないのだけど。

リゾート地区には海沿いに道があったので、夕方はそちらを散歩してみた。高台から見る中心街と海が夕方の日の光を浴びてとても綺麗だった。ベリーズで一番の観光名所であるサンゴ礁の島から戻って来るボートには人が大勢乗っていた。

もう日は沈み、夕暮れの中、街明かりがポツリ、ポツリと灯し始める。今日は本当にいい天気だった。明日は天気が悪ければ先を行くが、良ければもう1泊してサンゴ礁の島に行ってみるつもり。それが私にとっては唯一とも言えるベリーズの観光なので明日は今日と同じくらい晴れて欲しい。晴れますように。

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