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キト滞在と催涙弾 南北アメリカ自転車縦断 エクアドル(2)

4月11日、エクアドルの首都キトに到着。キト市内に入ってから中心部の旧市街に至るまでが交通量も多く、走っていてかなりしんどかった。バスの後ろを走ることになったのだが、このバスが頻繁に停まり、さらに出発の際に盛大に排気ガスをまき散らす、、、。それを体中に浴びながらのサイクリング。抜きたくくても道が狭いので抜けない。これで寿命は1年は縮まったと思う(笑)。

ようやく旧市街に着いてみると、坂の上に建つバシリカ教会の圧倒的高さ、大きさに度肝を抜かれる。キトの旧市街は世界で最初にユネスコ世界遺産に登録された12件のうちの1つだそうだ。

目指す宿、ホテルスクレはバシリカ教会から徒歩ですぐの便利な立地だった。この宿は経営者は現地のエクアドル人だが、「日本人宿」として有名で、キトに滞在する日本人バックパッカーはほぼ全員ここに泊まる。ちなみに、私の持っていた「ロンリープラネット(略してロンプラ)」という西洋人向けの旅行ガイドにホテルスクレは載ってなかったが、ロンプラに載っているどの宿よりも安い1泊2.5ドルだった。

泊まっていた日本人によると、ホテルスクレは「泥棒宿」としても有名で、宿泊者がよく盗難の被害にあうらしい。それがロンプラには掲載されていない理由なんじゃないか、とのことだった。(しかし、「泥棒宿」なのに日本人は平気で利用する。なんか、日本人ってたくましいな、と思った(笑)。)

宿に着いてすぐ、まず韓国人のチェさんと再会する。コロンビアのボゴタで別れて以来。相変わらずのハイテンションで、こちらも元気をもらう。彼にスーパーの場所を教えてもらい、スーパーに行くと今度はなんとコロンビアのカリの日本人宿「だるま」で一緒だったN君にばったり出会う。見かけたときに一瞬N君かと思ったが、「彼はカリでサルサダンスを習っているはずだからエクアドルにいるはずがない」と思い素通りしようとしたら、彼の方から声を掛けてくれた。彼によると、カリでは良いサルサレッスンを見つけることができず結局キトまで来た、とのことだった。

夜は宿泊者たちでワイワイやって、久々に夜更かしした。やはり他の旅行者と話をするのは楽しい。

翌日は市内観光をして教会建築などを見て回ったが、それ以降はグータラな日々を過ごす。1日のメインイベントは夕食で、宿泊者の何人かと仲良くなり夕飯を一緒に作った。「前の彼氏が板前だった」という料理上手のMさんを中心に、昼過ぎに「今晩何する?」の作戦会議を開き、必要な食材を市場で買い込み、そして4時くらいから各自料理に取り掛かる。

例えばある日の夕食は炊き込みご飯と具だくさんのスープ。またある日は豚汁、ナス炒め、海苔巻き。(海苔はMさんが日本食材を売っている店で買ってきた。)

どれも超絶的に美味しかった。

残念なのは、そんなに仲良くならなかった人たちにも食事を提供したのだが、食べ終わると、礼も言わず、後片付けもせず、スッといなくなってしまう人がいることだった。

極めつけは、たまたま外に食べに行く日があって何も作らないでいたら、「今日は何も作ってないんですか~」と言った奴がいたこと。みんなで料理するのは好きだけど、何もしない奴のために料理して後片づけまでするのはさすがに御免である。

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キトに着いて2日目の夜、街歩きをしてある広場に着くとそこで2つのグループがデモをしていた。人々が何かを叫んでいるがもちろんスペイン語なので内容は分からない。宿に戻って他の宿泊者にその話をしたら、「明日は1日ストで、バスなどの公共機関は全てストップするらしい」と教えてもらった。

翌日は警官隊が出動し、広場に通じる道路は封鎖されていたりした。店もほとんどが閉まっていた。ただ、デモは見たが、特に暴力的なものではなく、その中で物売りのおばちゃん達が商売をしていたりするのも(傍目には)なんか微笑ましい感じだった。(きっとこの日の売り上げはいつもの数倍はいっていただろう。)

ただ、その日の夕方のニュースによると、新市街の方のデモは警官隊と衝突し、大変な騒ぎだったらしかった。

翌日からはキト市内に夜間外出禁止令が発令された。昼間はそれなりに正常に戻ったが、夜は毎晩「パンパン」という銃声(?)が聞こえるようになった。

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キトから先、このまま南下するか、それともガラパゴス諸島に行くか迷っていた。ガラパゴス諸島はもちろんダーウィンが進化論を考え出すきっかけとなった場所であるだけでなく、そこには大陸から離れているためゾウガメを初めとする様々な独自の動物が生息している。1週間程度でいくつかの島を回るクルーズ船のツアーが出ていて、それに参加すると珍しい動物が見れたり、マリンアクティビティができるらしい。エクアドルを代表する超有名観光地である。

しかし、ガラパゴス諸島に行くにはキトから往復飛行機なので、相当の出費が必要になる。さらに現地のツアー代金もそれなりにかかるだろう。

、、、結局、ガラパゴス諸島に行くことにする。

言い訳(と言うのも変だけど)として、この先のペルーでトレッキングをやりたいが、山がきれいに見えるのは乾季の6月かららしい。しかしこのまま南下するとそれより早く着いてしまいそうで、10日間くらいの時間調整を入れた方が良いだろう。

、、、しかし、こんな言い訳を考えないといけないなんて、どんだけケチなんだ、と自分に呆れるばかり(笑)。

4月19日、飛行機のチケットを買いに新市街へ行く。旧市街と新市街はトロリーバスが結んでいる。旅行代理店でチケットはすぐ買えた。往復390ドル。明日20日出発で、キトに戻るのは30日にした。

更に銀行でトラベラーズチェックを現金に換えて、旧市街に戻ろうとしてトロリーバスの駅に行くと、なんと駅が封鎖されていて中に入れない。

しかし構内には乗客がいるのが見えるしトロリーも動いている。どうもほんの少し前に封鎖したばかりらしく、封鎖前に駅に入った乗客は目的地まで送り届ける必要があるのでトロリーが動いているらしい。仕方なくトロリー道路沿いを旧市街に向かって歩いたが、ほどなくしてトロリーはまったく通らなくなった。

その先に大勢の人が集まってデモをしていた。黒い煙がもうもうと上がっている。どうやらタイヤを燃やしているらしい。皆若く、高校生くらいのようにも見える。彼らはその先を封鎖している警察隊に向かって石のようなものを投げていた。

実は前日からキトでストが再開されたことは知っていた。現政権の退陣を要求しているらしい。でも前日もこの日の午前中も(自分が見て回った範囲では)いたって普通だった。

怖いもの見たさ、でちょっと近づいてみる。

突然、警官隊の方から「パン」と乾いた音が聞こえる。それと同時に、私の前にいた彼ら全員がクルリと振り返り、私の方に向かって猛烈にダッシュし始める。(このシーンは未だに強烈に私の脳裏に焼き付いている。)

警察隊が撃ったのは催涙弾だった。自分も慌てて若者たちと一緒になって逃げたが、手遅れで食らってしまった。

ツーンとする悪臭がそこら中に立ち込め、鼻や目が痛くなり涙が止まらなくなる。というか、そもそも目を開けておくのも辛い。

その場を脱出してからも1時間くらいは目や鼻が痛い状態だったと思う。

自分の中に多少野次馬根性があって、「面白そうだから見てみよう」と首を突っ込んだから被害にあってしまった。だから自業自得なんだけど。

でも、海外旅行していてもなかなか催涙弾を食らう人はいないと思うので、その意味では貴重な(?)体験ができました(笑)。

しかし、催涙弾はマジで強烈です(笑)。

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結局、私がガラパゴス諸島に滞在している間に現政権は退陣し、大統領が国外亡命をして騒動は収まった。(旅行中にいろいろな旅行者から聞いた話によると)支配者が権力を握っている間に私腹を肥やし、最後は海外にトンズラする、というのはある意味典型的な中南米の政治らしかった。

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