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いまこの時間に、取り込んで、蓄積するものは、きっと大事なものだ。 byみつばち1号

9年前の、あれほどの大災害も、いま世界中を席巻しているウイルスの猛威も、自分の人生に起こると想像しえなかったことを、わたしたちは経験している。
あらためて、自分たちが平和な世の中でなくてはできない仕事をしていることに気づく。収入は当面減るだろうし、あまり長引けば、なくなることもあるかもしれない。
同じ状況の人はもちろん、すでにもっと深刻なところに立たされている人も大勢いる。胸が痛むし、不安だし、焦る。
それでもいまのところ、「タダでは起きないぞ」と思ってる。

東京は桜の季節を迎えようとしている。
晴れた平日、近所の公園には子どもたちが遊んでいる。
週末や夏休みなどでも、こんなに子どもが遊ぶ姿を見たことがない気がする。
思いがけず与えられた長い休みに翻弄される親御さんもたくさんいらっしゃるので、のんきなことを言うと怒られそうだけど、住宅街の街路樹の足元に咲いた小さな花(雑草。笑)を摘む小学生3人組を、バドミントンに興じる中学生4人組を目にして、「あぁ、すごくいいなぁ」と思った。
仕事をさせてもらっているカフェには、わたしと同じようにパソコンを開く人、打ち合わせをする人、カウンターでお店の人と談笑する人。一様に、どこかゆったりとしている。住んでる地域に、こうした雰囲気の人たちがいたのだと初めて知る自分に、こうやってまとまった時間を地元で過ごしたことがなかったのだと、また気づく。
人間の活動が停滞したことで、きれいな水と空気が戻ったという海外の逸話も伝わってきたけど、自分を含めて、人々が地域に帰ってきている。まちの営みが、にわかに有機的になったように感じられる。それは、緊迫した状況を伝えるニュースからはかけ離れた穏やかさだ。
ここからなにかを見出せないかと、このところ、感覚を取り込んでは蓄積しようとしている。

見出したいなにかを、「希望」とか言いたいのではない。
多くの人と同様、みつばち社も考えてきた、あたらしい時代のあたらしい価値の、体現のしかた。あらたなステージに向けて、もう何段かのぼりたい。
自分のしあわせを軸にする。好きな人たちと、好きな時間を過ごす。実はどうでもいいことに、魂を損なわれないようにする。自由に思考する。手放すべきは手放す。人生を、ちゃんと自分のものにする。
あたらしい技術を備えながら、本質に還っていくのは進化だと思う。震災のときに立ち返ったはずが、振り出しに戻ってしまっていたという人がいたら、いま一度、見直してみようよ。

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イタリア在住の親友が、このたびの新型コロナで渦中となったかの国を、「やっぱりこの国が好きだ」と言った。在伊は四半世紀、良い面ばかりを見てはいない。こうなる前も、「日本も不安だろうけど、イタリアなんてどこに行くかわからない船。沈没するかも」と揶揄してたし、これまで何度も、呆れたり、嘆いたり、憤ったりしていた。その友人がいま、命を最優先に置いてなされる決断や、「社会の一番弱い人に対してのモラル。欧州一番の劣等国でも確かなものを守ってる」人々を賞賛している。

イタリア人って直情的だよねーと、この友人とよく話すことがあった。生活に困っている人を前にして、「かわいそう」と泣き、企業や行政に「ひどいじゃないか!」と怒る。友人曰く、さすがにどうかと思うほどなのだそう。
でも最近は、妙に大人に振舞おうとするより、そっちのほうがずっといいと思うようになった。どちらの社会も失うものはあるだろうけど、少なくとも、傍観者を生み続けたり、冷笑に支配されるよりは、健全じゃないか。
人間は、もっとシンプルでいいんじゃないか。

いまこの時間に、取り込んで、蓄積するものは、きっと大事なものだ。縮こまった感情を開いて、さらに自由に、遠くまで歩けるようになりたい。
長期戦になりそうだけど、このウイルスを制圧しようと必死になってる医療者、研究者の皆さんが、世界中にいるのは幸いだ。ありがたい。
長期になるとはいえ、人生は、それよりもっと長いはずだから、やわらかなこころで、日々を丁ねいに経験しよう。ただ財布の紐を締めるではなく、いつもよりさらに、落ちるところ、回す先を意識しながらお金を使って、習慣にしよう。楽しくつきあえる人と話そう、手紙も書こう。散歩もいいな。おいしいもの食べて、いい音楽聴いて、猫と眠ろう。ユーモアを胸に、きっといいこと思いつこう。
転んでも、タダでは起きないつもり。

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