算数と数学

素直で算数が得な子ほど
中学の数学などでつまずくような
気がした。
日本の数学教育の問題点は
小学校の時には
算数で、算術を訓練する
やり方を覚え訓練し
早く答えを出すことを
言われたとおりに
やる子が伸びるので
記憶にをベースにする
計算を叩き込む
なので、掛け算も
その数学的な意味ではなく
物を数えるときのロジックで
「1あたりの数」×「いくつ分」=「全体の数」
と覚えさせる。
そもそも、算術の掛け算と
数学の掛け算は、定義からしてことなる。

でもこれで覚えあてはめで
問題を解く。
しかも掛け算は、九九を
暗記し、解く

要は暗記での学習が基本なのである

それが、中学でx、yや
因数分解など出てきて
その定義や意味を理解せず
方程式を暗記させとかせようとする

問題や、解き方も無限の可能性が
広がるので、すべてのやり方を
覚えるのはとても大変になる
しかも膨大な方程式から
何を使ったらいいのか
パターンが複雑になり
記憶をベースにした学習では
破綻する子供が多くなっても
当然のように思う。

数学は、哲学と同じで
概念をりかいできれば
方程式は、その場で、すべて
導き出せるものなので
暗記ではなく、理解する学問

なのに、算数と同じ手法で
教えようとする教科書や学校が
多いために、つまずくのではないか

小学校のとき、算数の宿題は
まじめにやったことなかった
なぜ、1+1は2になるのかとか
掛け算は、同じ数の足し算だから
九九の表が、パターンが縦横に同じように
広がっていくのを考えたり
1桁の数に周期性が
生まれるのが面白いと
おもたったり数で遊んでばかりいた。
時計がなぜ12時までなのかも悩んだな~^^

そんな数の不思議を
自分なりに理解していく
考えていくのがたのしくて
多くの回答式を暗記して
早く解く受験勉強など
何のためにやるのか理解できなかった

たぶん、中学の数学の先生は
哲学者的な人の方が
向いているんではないかとさえ思う

数字は、人間が創造した
誰にとっても同じ概念
神の概念よりも、共通である
要は、人はみな異なる思考空間をもち
理解もロジックも異なる
その中で、共通の言語など
作り出し、文明を発展させてきた
でも言葉の概念も人によって
100%同じではない
猫と犬という概念の違いが
わかるが、「猫がかわいい」という
命題にたいして、同意したりしなかったり
すると思うが、人々の
意識の中で描かれる猫はことなる
猫なのである。
猫を飼ってる人は自分ちの猫
猫に引っかかれた人は、怖い猫
猫をあまり知らない人はアニメの猫かも
しかも、いつも同じ猫とは限らない
でも、猫という大枠の概念で
コミュケーションを取っているのである。

それにくらべ、数字の1は
表記の記号はかわっても
数千年来変わらない概念で
世界中で使われ
人による異差がない概念なのである。

なので、多分数字では
宇宙人とでもコミュケーションは
取れると可能性が高い。

そんな、純粋な万人にとって
共通の概念を積み上げていく学問
その人間が作り出した純粋な世界と
現実の世界の関係を学ぶのが物理学
科学に数学が使われる理由は
科学的事実をは、だれが、どこで
いつ再現しても全く同じ結果が
得られるものを科学的事実(Fact)と
なる。

なので、数字の概念が
いま人類が持っているツールとしては
一番証明しやすいのである。

物事の理解には多様な視点が
存在している、数学的視点だけでは
十分ではないが
数学的視点を、持っていると
違った次元から、物事を
理解できる面白さは
多くの人に知ってもらいたいですね

小学生にも
数字のおもしろさや、
それに裏付けられた科学技術など
深淵に近づけばもっと面白い
ものが見えてくるように思いますね。

逆にすべて数字で計算できると
勘違いする人も時々いるが
そうではない、多様性だからこそ
生まれてくるアートで世界はあふれている
アメリカの大学は、Art and Science という
学問の括りがあり、ほとんどの大学が
GEC(General Education Course)で
両方の学科の取得が必須になっている
要は、人間には両方の考え方見方が必要で
一般教養をしっかり学ぶことが
その先の学問の道への入り口になっている

もっとも学生の時は、それらの科目は
Aを取るためとか、簡単にすませようと
してしまうのだが、以外にやってみると
面白かった、特にアメリカの宗教学が
おってもロジカルで、ファンダメンタルを
理解することが主体なのがとても
おもしろかった^^
暗記ではない理解することが目的だった

日本は、科学崇拝が、とても強く
宗教や哲学などの評価が
海外に比べて低い気がする。
また、エンジニアリングなどは
高い評価でも、数学などは
大学などに残らないとやっていけない
人も多いような気がします。

なぜ、GAFAが生まれにくいのかは
単にお金が、収益性の高い場所にながれる
のは前にも書いたが
社会が、人よりもお金や経済に
価値の重心が高いからのようにも思う
人は多様性があり、定義は難しいが
でもだからこそ無限の可能性をうめるし
多様性があったからこと
共通の言語や、数字を生み出したのだと思う
それが教育で、多量の事を
覚えさせるために、暗記させるために
時間や能力を消費させ
同じような人間を量産してきたが
これからは、多様性を受け入れられる
社会の構築を目指すべきではないだろうか?

人々の幸せは、お金であるとの
刷り込みをやめ、自由に自分の
幸せをみつけられる人を増やしていきたい。

ちなみに数学の問題を
数日間考えるのは本当に愉悦だし
絵をかいたり、焼き物を作るために
何も考えずに作品に向き合うのも
本当に幸せをかんじる
人によってことなるから
社会はまわるので、それぞれの
人に会った幸せをみつかける

そのために、数学的、科学的思考や
視点で観察できれば、異なる次元の
愉悦を見つけられると思います

来月は小学生に、簡単な
授業をするきかいがあるので
小学生の思考の刺激を
してこようかなと思います~^^
暗記ばかりではない楽しさを
教えたいですね^^

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