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「最高の人生の見つけ方」を見てのエトセトラ

【最高の人生の見つけ方】
2007年の映画、ジャックニコルソンバージョンのを、小阪先生のシネセミで見たのはどのくらいだったか?(シネマセミナーというのは、先生が映画を観た後に人生とビジネスの視点から勝手に読み解くというもの)

死ぬまでにやりたい棺桶リストを、余命半年の大金持ちと整備工の二人がやっていくストーリー。普通だったら出会えてない二人が余命半年という共通点で意気投合し旅に出ていく。
大金持ちのお金の使い方が痛快で、
二人が少年のようにワクワクと旅に出てやりたかったことを叶えていく様子や、ホロリとさせられるラストへのストーリーもお見事で、2回目は2019年にハワイから帰る飛行機で見た。

2019年に吉永小百合と天海祐希が、それを原案にした映画を撮ったのは知ってたけど、二番煎じ的なんだろうなーとさっぱり関心がなかった。
ふと、Netflixで発見して観たところ、日本人の気持ちにフィットする絶妙なアレンジと丁寧な演出、美しい映像。
誰が撮ったのか、と観たら犬童一心だった。
なるほど〜。

人生のほとんどを家族のために過ごしてきた主婦役の吉永小百合と、人生のほとんどを仕事に費やしてきた大金持ちの天海祐希が、余命宣告を受けて12歳で亡くなった女の子がやりたかったリストを叶える旅に出る

自分のやりたいことじゃなくて、
人がやりたかったことを叶えるなんて、
まさに日本人っぽいし、
家族に対して言いたいことを言えずにこらえながら過ごしている日々や、仕事をバリバリやりながら周りに信じられる人がいないというところなど、丁寧に描かれていてわかるわかる、という感じ。

絵になる二人がより美しく見えるファッションや、構図や、色彩。
(エジプトのシーンや京都の着物のシーンの彩りがきれいなこと)
そしてオリジナルと同じように、関係性を取り戻して行くところにジワっとする。

じんわりと観ながら、
昨年亡くなった上司は、死ぬまでに「やりたかったこと」が出来たのかと思ってしまった。

「まだ、やりたいこといっぱいあるのに」と余命宣告されたあと、悔しそうに言ってたことを思い出す。

亡くなる1ヶ月前に、そのことを聞いた時すごくズシンときた。

元気になったらと言って治療を優先してたけど、癌の宣告を受けた2年前。
行きたいところに誘ったり、やりたいことが叶えられたんじゃないかな、と思うと切ない。

2021年の8月に見つかった癌は、もともと腎臓が悪かったから、抗がん剤も強いのを使うことは出来なかった。度重なる入退院も、コロナだったからお見舞いもままならなかった。

それでも、2021年の12月と4月に大学でメイクセミナーが出来たことはよかった。
手術の後だったから心配したけど、セミナー当日バッチリとメイクをしてスイッチの入った姿は凛として美しかった。
「また、あなたと働きたいものです」と言われたことを叶えることが出来た。
うれしそうだったなぁ。
人前に立って華が咲いたようにイキイキとデモストやって、学生さんたちの喜ぶ姿を見て充実した時間だった。
あの時の姿を動画に撮っておいたことはよかった。遊びの時じゃなくて、みんなが知ってる人前で話す姿。仕事の時の顔と声。

亡くなる1週間前、会いたい人に会えるようにお互いの悔いがないようにしたことや、
意思を尊重してのお葬式、
偲ぶ会に100名以上も来てもらったこと、やり残したことはない、と思う。

ぎゅっと握ってくれた手の感触を忘れない

死ぬ間際に後悔すること

自分自身振り返ると
2020年の2月に休職する時はこんな状態だったなと思う。 
自分を犠牲にして、人の期待に沿って、一生懸命働いて心を亡くした。

あの時、私は一度、死んだのかもしれない。

どんどん痩せて、頭の中が真っ白になって、
何も考えられなくなった。
死んだら楽になれるのか、とか、消えてしまいたいと思ってた。
死の淵を歩いてたんだな。

だから、そこから生き返ってきたプロセス自体が、棺桶リストなのかもしれない。

あの時思ってたこと
旅人になりたい
血の通った教育がしたい

人をモノみたいに扱ったり、
困ってる人を見捨てたり、
トップダウンでコントロールしたり、
自分の保身のために仕事をする人の下では働きたくない

わたしは、私を生きる、をするのだと決めたんだ。
だから、肩書きではなくて名前で生きると決めた。

今、この映画を観たのもきっと意味あることなんだな、と思う。

後世に遺したいこと
内村鑑三の本を読み返そう

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