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本能寺の変 斎藤道三の下剋上 5 175~176 天正十年六月二日、明智光秀が織田信長を討った。その時、秀吉は備中高松で毛利と対峙、徳川家康は堺から京都へ向かっていた。甲斐の武田は消滅した。日本は戦国時代、世界は大航海時代。時は今。歴史の謎。その原因・動機を究明する。『光秀記』

斎藤道三の下剋上 5 光秀の壮年時代 

*175~176は、バックナンバーです。

175 1550年代、光秀の壮年時代。

   この頃、鉄砲が普及し始めていた。        「言継卿記」
   土岐頼芸は、まだ守護の座にあった。       「史料綜覧」

176 下剋上、成る。

   道三は、頼芸を追放した。            『信長公記』
   道三の下剋上に対する世人の評価。        『信長公記』
   道三の人生は、乗っ取りの連続だった。      『信長公記』
 

          ⇒ 次回へつづく

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