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いただいたお題でnote③心に残ったあの人の言葉「好きでも嫌いでもないから安心して」

「好きでも嫌いでもないから安心して」って言われた事があって、これが心に残っていると人に言うと必ず「なんで?」とか「どういう意味?」とあまりピンと来ない様子で問われるのだけれど、私はこの言葉は人生で1番しっくりきた、アドバイスでも名言でも宝言でもない全く直接役には立たない言葉。心にとっておいてある大好きな言葉はだいたい私の人生に役立っていて、素晴らしく響いて色あせず私を救うけれど、この言葉はなんの向上ももたらさない。ただ私を安らかに、フラットにあるがままに置いてくれる唯一の言葉である。

大学時代塾の先生をしていた時に、ひとつ上の先輩で本当に無愛想だけれど生徒への愛情はピカイチの先生がいた。(現在も塾講師で、自分の塾を経営してる、すごいね)本当に無愛想だったから用事があって話しかけても聞いてるのか聞いていないのか分からないし雑談はほとんどしてくれないし大人には笑顔を見せないし、「うん」とか「分かった」とか「分からない」を目で喋るというか目だけで表現してくるのでこちらもつい気になっていちいち様子を確認してしまう、そんな人だった。

その人が、私に言ってくれたんである。(シチュエーションは、たいしたことない場面、誰か先生の送別会終わりの帰り道になんとなく寄った公園とか)

私の心の隙間に、ぽっと入った言葉だった。たぶん、その人は私のことを人間として本当に「好き」でも「嫌い」でもなくて、そんなことをわざわざ言ってくれる人はそれまでいなかった。つまり「好き」か「嫌い」しかわざわざ言われてこなかったから、私のことを「好きでも嫌いでもない」人がこの世にいる事を確認する機会がなかったけれど、認識する機会がなかったけれど、それが存在するのだった。

自由、とはなんだろうと考えた時にその言葉が私を癒すのだ。期待もされず憎まれもせず、ひとりで自由帳を書いているような時間。人にとってどちらでもないのだから自分でいるしかない、そんな風景。

その人が「好きでも嫌いでもない」のあとに「安心して」をつけたのは、きっと私の人生にひっついて回る焦りや不安がその人の目についたんだろうと思うけれど、「好きでも嫌いでもない人」からかけられたその言葉による一瞬の愛情に、私は自由を見いだした。好きでも嫌いでもなくても、人が困っていればちょっと耳を傾けて愛情のある言葉を分けられる、そんな人間性にも私は心を動かされた。

好かれながら、嫌われながら、そのどちらでもない人たちと自由を分け合いながら、これからも生きていきたい。

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