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お話の癒し

私が「お話好き」という事を自覚したのはつい2日前。ふいに気付いたのですが誰かとお話をするという事にかなり情熱が傾く瞬間があって、お話ができると嬉しいしお話が上手くできないと非常に悔しいし、とにかくコツコツとお話を積み上げて対話が生き生きしてくるとこの上なく幸せ。

お話が繰り返される映画や本も好きで、洋画の「ビフォア・サンライズ」は初対面の男女が意気投合して一晩だけおしゃべりしながら一緒に過ごす話だし、サリンジャーの「フラニーとゾーイ」は兄妹(たぶん)がひたすら自分達の哲学を交わしているし、ドストエフスキーの「貧しき人々」は手紙のやりとりだけで年の離れた男女を描いていて、こう、とことん、深くなったり浅くなったりしながら人間と人間が「話す」物語がやっぱり好きなんです。

反面、話すのは全く得意ではない。子供の頃から話したい事が頭に思い浮かんでも順序立てて話せないし、単語ばかり並べてしまったり、どもったり、手ばかりバタバタ動いて何も伝えられなかったり、良い思い出は少ないのです。

できないし緊張するのに好きなのは何故なんだろう。

「知りたい」と「伝えたい」がもどかしいほど出来なかった時代に、「私はこんなふうに世の中が見えているんだけれどあなたはどう思う?」って言えた瞬間が、本当に人と気が合った時にできて、月並みだけれど孤独じゃなさを得る事ができた、そんな感じだった気がします。

子供の頃、頭でたくさんの事を考えたけれど語彙がなくて両親や兄弟や友達に言えなかった何かが、大人になると少しずつ細部までやりとりできるようになって、だんだん自分の理想に近い形で伝えられるようになって、その幸せについてはもう一度自覚したい、出来るようになったこの素晴らしさを当たり前だと思わずに、会話できる相手がいる幸運も忘れずに、生きることに腐り果ててしまわぬようにしなければ、そしてもっともっと理想が膨らんだらいいな、そんなふうに思った夜分でした。

ちょっと書き殴っちゃった。



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