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いただいたお題でnote④思い出の一品「餃子の満洲の餃子」

高校生の頃は部活動(ダンス部)に熱中していて、朝は5時に起きて高校に行き朝練、昼ごはんの時間は昼練(だから早弁してた)放課後練、そのあとミーティングや振り付けや音楽編集や自主練を週ほとんど7日やっていたから本当に時間がなく勉強をしていなかったし疲れて毎日眠くて大変だった。おかげさまで創作ダンスの全国大会で賞も取れた(これが奥が深くて面白い)。受験期になり、自分が全く勉強が出来ないことを悟ったけれど親はMARCHより上の偏差値じゃないと学費や入学金は出さないと言うし映画学校の資料を取り寄せたら本当に激怒された。お芝居をやるか文章の勉強をするかで悩み、大学行くとしたら文章だろ、ということで見つけたのが立教大学の文芸思想専修。哲学も文章創作もできて本当に魅力的に思えた。

私は英語が致命的に駄目でセンター試験の過去問が2割だった。つまり高校3年生の時点で200点満点中40点しかとれず、偏差値がたぶん35くらいだった。立教に必要な偏差値は65くらいでセンター8割以上。予備校を探したけれどこれも「高い」と反対され、英語専門の塾と高校の先生の手厚い指導でこの受験を乗り切ることとなった。(国語は何故か最初から8割取れて、日本史は高校の日本史の先生に恋をしていたのでいつもだいたい90点以上だった、ラッキー、他の教科はダメダメ)

英語専門の塾は高田馬場にあるのだが自習室が朝5時から開いていて常にパンパン、東大を目指す人が多くいて、ほとんどの人間が熱狂的に真面目だった。授業はすべてひとりの先生が行っていて、頬杖をついたり頭の上からエネルギーが出ていないという理由で怒鳴られ机を蹴られ退出を迫られ、なんというか本当に「怖い」塾。私は何故かいつもほぼ1番前の席に座り、「馬鹿でーす」という顔をしながら熱心に挑んだ。もう後がないくらいにお馬鹿さんだったので気楽に一生懸命になれた。そして私のルーティーン。朝6時に自習室へ行き、籠もりきりで午後6時まで英語の授業を挟みながら勉強する。お昼もさっと食べ、単語帳を見ながらといった状態で6時から6時まで11時間半ほどの勉強。夏休みの話である。無事にセンターの過去問も8割取れるようになったのだ。飛躍飛躍。

そして6時を過ぎてからは私の時間。帰りに池袋に寄り、ゲームセンターで遊びショッピングをし、ブックオフで立ち読み、そして餃子の満洲を食べる。(すべてひとり行動だけれど)そう、私は餃子の満洲W餃子定食を愛し、愛し、愛していた。餃子が2皿。白米に味噌汁。ああ、悶絶。毎日悶絶。何がどう他と違って美味いのかは分からない。友達も私の餃子愛につられて通うようになっていた。私の誕生日サプライズは餃子のタネと皮で計画されていたらしい。顔面パイのようにぶつけるのだ(やれなかったらしいけど)。私は受験期ハッピーだった。大好きな日本史の先生と過ごし、偏差値は上がり、週に4日はたらふく餃子を食べ、英語塾で過剰な緊張を強いられ今日は誰が怒鳴られるのかとワクワクし、若くて食べても食べても太らない。おまけに未来にはおぼろげに美しい池袋キャンパスが輝いてる。結局は一般受験ではなく12月に行われた自由選抜入試というので論文と面接で入れてしまったのだけれど、文章書くのも好調だった。(小論文は苦手だったけれど)

私の隣に満洲の餃子がいるとき、私は完璧に幸せだったらしい。今はもう家を出てってしまったので近所に餃子の満洲はないし、無邪気に憧れて良いような高校の先生も、狂信的な英語塾を笑っていられるような余裕も、ない。

けれど代わりに、楽しい生活苦と自分のアパートと劇団と演劇仲間と居酒屋を手に入れた。余裕はないけれど、あの頃とさほど変わらず笑っていられることは出来る、出来るはずだ。そう言い聞かす。

顔面餃子やろうと思ってったって聞いた時は「うげえ」と思ったけれど、今になって思うと顔面餃子をしてもらえるような人間だった時期があって良かったなと思う。

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