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いただいたお題でnote①わたしの好きなもの「ひとん家」

練馬区大泉学園の幼稚園に通っていた。卒園し、小学校にあがると同じクラスにとても目の大きな、手足の長い少し焦げた肌色をした女の子がいた。ちょっと人と違った、見たことのないスラリとした姿、少しカタコトの甘ったるい喋り、いつも少しだけ泣きそうな潤んだ目。みずきちゃんはフィリピン人のハーフの女の子。友達が何故か少ない。わたしん家の前の公園のブランコを一人で漕いでいる。わたしはコジ、というあだ名の男勝りの女の子と仲が良くて、いつも一人でいるもんだから気になってコジと一緒になってみずきちゃんに声をかけた。(たぶん)「あーそぼ」といった感じ。遊んでみると無邪気な、少しワガママの目立つ泣き虫な女の子。「あいつハーフなんだって」とこそこそ言われているのも何度も聞いた。人と違う、というのは子供界ではとくに爪弾きに合いやすい。みずきちゃんは度々混乱し、空気の読めなさに磨きをかけていった。わたしは子供ながらに複雑な気分を抱えて、「なんだか人間って悲しいなあ」と思った。コジは「ハーフってなんなの」とつまらなそうに気にしつつ、「それよりあいつのワガママの方が気になる」と文句を言いながら結局は仲良くしていた。

ある日、川沿いにあるみずきちゃんの家に遊びに行くことになった。近所だし、小学校にあがったばかりのわたしたちにとっては「〜ちゃん家で遊ぶ」というのはよくあることで親も安心だから大歓迎だった。

正真正銘、みずきちゃんのお母さんはフィリピン人だった。笑顔で迎えてくれた。カタコト。川沿いにある家は濃い茶色のトタンの家で、わたしたちは玄関からじゃなくなぜか裏戸から入った。家にいるみずきちゃんはとても元気だった。お母さんはちょっぴり丸々とした体型で、みずきちゃんのすらっとした面影は感じられず、それが不思議だった。大人になると違うのかな?とか思いつつ、自分の凡庸な日本人体型を振り返った。みずきちゃん家には他の子の家と違ってゲームがない。目立った遊び道具もない。わたしたちは低いテーブルを囲って3人でくっちゃべった。よく分からない話でたくさん笑った。何にもないけれど楽しかった。何より、いつもより少しリラックスして得意げなみずきちゃんの様子に誘われて興奮していた。なんだい、楽しそうじゃないか、なんだか人の秘密を知ったような気分で高揚し、それはコジも同じだったんじゃないかと思う。フィリピンの、異国のお母さんとリラックスしたみずきちゃん。高揚したわたしたち。ひとん家の、ちょっぴりこもった甘い匂い。目の前には川。

わたしが「お腹すいた」と言ったのか誰かが言ったのか「お腹が空いてない?」とみずきちゃんのお母さんに聞かれたのか忘れてしまったけれどみずきちゃんのお母さんが何やら鍋で食べ物を煮てくれている。「なになにー!」と興奮したわたしたちは鍋をのぞく。嗅いだことのないにおい、色の食べ物。「フィリピンのおやつだからねえ」とみずきちゃんのお母さん。わたしはワクワクして待ち遠しかった。みずきちゃんも嬉しそう。わたしたちはその「おやつ」を待った。茶色い、どろっとした液体が椀にそそがれて、ひとりひとりの前に置かれる。手を合わせて、いただきますという。一口食べた。衝撃が走った。なんだか分からないものだった。奇妙に甘い。ボヤッとした甘さだけれど掴みどころがない。米粒みたいなものと茶色い液体がどろどろ混ざって恐ろしい。「これはなんですか?」と聞いた。「チョコレートかゆなんだけど、、、」「チョコレートかゆ?おかゆとチョコレートですか?」「うん」

だんだん、食べるペースが落ちていった。食べても食べても減らない。少々えずいた。口数も少なくなった。コジもわたしも非常にゆっくりと、失礼にゆっくりとスプーンを進めた。とうとうみずきちゃんのお母さんは言った。「口に合わなかったら残していいからね」わたしとコジは降参した。「ごめんなさーい」と言った。まだ幼くて良かった。わたしたちは素直に謝ることができたけれど、帰り道は衝撃と申し訳なさと、知らない食べ物へのちょっとした恐怖とでクタクタになっていた。あまり知らない気持ちである。まだ口の中に甘ったるいかゆが残っている。少し気持ちが悪い。みずきちゃんの顔がうまく見れない。「あれよく食べるの?」と精一杯で聞いた。「うん、ママがよく作ってくれる」と、普通に答えてくれた。あの、わたしたちの全く食べることのできないおかゆを、このすらっとした小麦色の大きな目をした女の子は平然としょっちゅう食べているのだ。違うんだな、と思った。わたしたちは、決定的に違う。それは、コジが4人兄弟でしかも4匹の犬を飼っていて毛だらけだったり、歯医者さんの子の家がバカデカくて車をしまうのにシャッターが付いていたり、お母さんがいない子だったり、そういうのとは違った、へだたり。

よく呑み込めぬまま家に帰り、いつも通り母親に「おやつを食べ過ぎてないよね?夜ご飯食べられなかったら許さないからね」と言われものすごくきちんと夜ご飯を食べ、そして眠った。翌日も、その翌日も、わたしはみずきちゃんと仲が良かった。コジもなんら変わらなかった。数日後、わたしはもう一度みずきちゃん家へ遊びに行った。コジはいなかった。川を越えて、相変わらず裏戸から入って、ひとん家の甘ったるいにおいを嗅いだ。

お母さんに言った。「あの、この間作ってくれたやつ、もう一回食べたいなあ」お母さんは何も言わずに作ってくれた。今度は椀に入った茶色い甘い液体を覚悟して口に入れた。やっぱり苦手だった。わたしは聞いた。「うーん、チョコレートかゆってフィリピンの食べ物なの?」「そうだよ」とお母さん。「あんまり、食べたことなくて」「そうだよねえ」なんでまた食べたかったのか、わたしは謎だったけれど、この家に来たらなんだか食べなきゃけないような気がしたのだ。かきこんで、全部食べた。「おかわりあるからね」と言ってくれた。「大丈夫です」と返した。みずきちゃんは嬉しそうでも悲しそうでもない、いつも通りだ。わたしも、チョコレートかゆを全部食べられたけれど嬉しくも悲しくもなかった。これで良いのだ。わたしは、ひとん家が大好きな子供だ。今もひとん家が好きだ。あれ以来、チョコレートかゆは食べていなのだけれど。

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