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HSP 私の場合 その2「顔色」

こんばんは、自分見つめ隊です。

前回は、一冊の本と出会い、「自分にはHSPの性質がある」と自覚するという内容でした。

今回からは、「今振り返って考えればHSPだったのかも」と思う自分の性質に触れていきたいと思います。


小学校高学年ごろから、気づけば人の顔色を見て行動することが増えていました。

教室の隅で噂話するクラスメイトを見て、「私のことかも」と気にしたり、

友達のちょっとしたテンションの変化を察知し、「もしかして怒ってる?」と気にしたり。

ちょうど女子の友達関係が複雑になり始める時期だったので、余計に敏感になっていたのかもしれません。

とにかく「噂されないように、悪口を言われないように行動する」「誰にも迷惑かけないよう振る舞う」毎日でした。

中学、高校になってもその癖はなくならず、むしろ当たり前になっていきました。

クラス替えをしたばかりで大してしゃべってないのに、近くの席の子の顔色を勝手に見て「なにか気に入らないことがありそう」とか、

前に座る子から急に話しかけられて、びっくりしてうまくしゃべれなかっただけで「裏で陰口言われるかもな・・・」とか、

私の脳内で、勝手に周りの人をネガティブな人間に捉えてしまっていました。

そのことについて、当時の自分もたまに疑問を感じることもありましたが、「被害妄想みたいだな」という程度にしか認識できませんでした。

自分なりに、「最悪の事態」を常に想定し、実際にそうなってしまったときに落ち込まないように保険をかけていたのかもしれません。

ただ、もともと一人で行動するのが平気だった(と同時に、誰かと一緒にいるとその誰かと仲の悪いグループ女子との関係に悩むのが嫌だった)ため、揉め事に巻き込まれることは少なかったです。

しかしその分、揉め事になったときの対処法は分からないままでした。

揉め事は当時の自分にとってとても恐ろしいものであり、もし誰かと揉めてしまったら、それで悪化した関係を元に戻すイメージや自信は全くありませんでした。


大学入学後、3回生になった私は、部活動で部長を務めることになりました。

「中立な立場で意見しなければ」という部長としての責任感を強く自覚しつつ、相変わらず人の顔色を気にしながら生きていたので、幹部での話し合いで行き詰まった時にも結局何も発言できず、肝心なリーダーシップを発揮できないまま引退を迎えました。

「揉めてもいいから自分の意見を言う」という勇気が、どうしても持てませんでした。

そして、何も発言できなかったことについて「絶対あの場にいたみんなは怒ってる・・・部長は何も仕事してないと思ってる・・・」と後で勝手に想像し、一人で落ち込んでいました。


今書いていて思いますが、人の顔色の変化を繊細に感じ取ってしまうからこそ、いろいろなこと(特にネガティブなこと)を必要以上に想像してしまい、自分の行動にかなりブレーキをかけていたのかなと感じます。

そして、今だからわかることですが、そのネガティブな想像が後になって「案外外れてた」ことも割とあるのです(私が読んだ本でもこの点は触れられていました)。

今でも様々な場面で人の顔色を見てしまうことはありますが、人生経験が増えたこととHSPであることを踏まえて、

「私の脳内ではこんなことを想像したけど合ってるかわからないしとりあえずコミュニケーション取ろう」

と、少しずつ思えるようになりました。


それでは、今夜はこの辺で。


最後まで読んでいただき、ありがとうございました。


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